迷走する安倍「改憲」案の辿り着く先-緩まぬ敗戦の軛 21年5月更新

安倍晋三前首相の提案した改憲案が迷路にはまって久しい。2017年5月3日の憲法記念日に「五輪開催の2020年には新憲法を施行する」と大見えを切ったものの、コロナ禍発生を待つまでもなく、間もなく「施行は2021年以降になる」とあっさり撤回した。そして2020年9月にまたしても体調不良を理由に安倍氏は首相在任歴代最長を「置き土産」退陣した。後任の菅義偉首相には改憲に対する強い意思はうかがえない。とはいえ自民党が党是とする「憲法改正」論議はこの米国による米国のための反共保守政党が与党である限り、政策論議上の大きな柱である。自主憲法、自主軍備、その辿り着く先を探ってみる。

■安倍再々登板への道

そもそも安倍氏は第三次小泉内閣の官房長官時代に「逐条的改正ではなく、白地から、前文から全文を変えていく」と明言。2006年9月の自民党総裁選出馬前には「日本国憲法前文は敗戦国としての連合国に対する詫び証文」と貶め、平和憲法を唾棄すべきものとした。このような“前歴”に照らせば、17年5月の九条一項、二項を残し、新たに三項を追加して自衛隊を明文で書き込む」という新たな改憲提案(通称・安倍「加憲」案)からして歴史修正主義者としての敗北宣言だった。

五輪と改憲を一体化した2017年5月3日の発言以降、安倍自民党はワシントンからの圧力に屈して変節した。それは「戦後レジュームを『恒久化』する」との黙示であった。しかしながら憲法は立憲主義の骨格であるだけに、改憲を巡る論議は自民党最大派閥の安倍・清話会グループとそれを支える親米右翼勢力にとって政治的な利用価値は極めて高い。

退陣からものの1月も経たぬうちに安倍氏は「いい薬ができて体調はすこぶる良好」とあっさり表舞台に躍り出た。安倍グループの勢力拡大、今年9月の総裁選での菅支持、菅後継者の名指しなど闇将軍然と振る舞っている。自らの再々登板はないと語るものの、永田町では仕事盛りのまだ66歳。発言を真に受ける者は皆無であろう。

実際、2019年末に麻生太郎副総理は改憲に取り組むには総裁任期の切れる21年9月以降も続投すべき」と安倍周辺は改憲への執念を見せつけていた。さらに「安倍さんの次は安倍さん」(二階俊博幹事長)、「安倍退陣は世界のリーダーが許さない」(世耕弘成自民党参議院幹事長)との発言が相次いだ。

昨年の安倍退陣は自民党の総裁任期規約の改正を不要にした。2期6年を3期9年に変えたばかりなのにまた4期・4選への改正はあまりに無理がある。そこで1~2年の充電期間を設けて、「安倍待望論」を内外から湧き起こす。産経・正論、HANADA、WILL、日本の息吹、櫻井よしこ氏主宰のメディアグループは既に動き出している。

■なぜ安倍が必要か

再々登板した安倍氏は壊れた録音機のように「必ずや憲法改正は私の手で成し遂げる」と唱え続けるだろう。本音で改憲する気はないし、出来るとも毛頭思っていない。「改憲占領憲法唾棄」は祖父岸信介の敷いた巧妙な従米路線維持のためのレトリックである。

親米を装う日本の右翼には積年の反米マグマが溜まっているはずだ。その右派グループは中国・韓国ヘイトが主任務だ。民主化徹底に尽力したGHQの初期占領政策や東京裁判否定を柱とする対米批判が禁句である中、改憲だけは例外となっている。一つのガス抜きだ。政界からメディアに至るまで親米右派を束ねて率い、愛国者を演じながらワシントンの最良のパペットたり得るのは岸を後継する安倍晋三しかいない。

日本ではいまだ家系、血筋が大きな力を持つこともワシントンは知っている。安倍を三度御輿に乗せる準備は着々と進められている。世論を動かすキーワードは「『太平洋版NATOの盟主』日本をけん引できるのはミスター安倍でだ」であろう。

(この記事は岩波書店の「世界」2018年4月掲載記事「安倍『加憲』案の迷走が示唆するもの」を全面的に書き改めたものの一部です。近く全文掲載します。本ブログ掲載記事「「私の手で改憲成し遂げる」は安倍首相最大の虚言--どう我々を欺いているのか」も参照願います。2021年5月31日)

改憲日程の白紙化

2017年5月3日、安倍首相は憲法施行70周年記念日に日本会議など右翼改憲派主催のフォーラムに「2020年を新憲法施行の年にしたい」とのメッセージを送り、加憲案を初めて提示した。だが、フォーラムに寄せた改憲の決意はすぐさま揺らぎ始めた。

まずは2017年6月から18年2月まで半年余りの改憲を巡る安倍発言を点検する。

6月24日、神戸市でのスピーチで「自民党の改正案の検討を急ぐ。秋の臨時国会が終わる前に、衆参の憲法審査会に自民党の案を提出したい」と国会提出時期を明示した。報道機関は一斉に「これまで自民党案は年内にとりまとめられ、国会提出は来年1月召集の通常国会になるとの見方が大勢を占めていた。秋の臨時国会での提出方針が示され、改憲の動きは一層拍車がかかる」と伝えた。  だが8月になると一転してトーンダウン。以降、改憲プロセスに関するスケジュールを白紙に戻し、「国民的な議論を深めたい」、(日程提示は)自民党総裁として一石を投じただけ」「スケジュールありきではない」との発言を繰り返すばかりだ。

朝日新聞の8月3日付電子版記事は「安倍首相は3日夜…憲法九条に自衛隊を明記する自民党改憲原案について、自ら期限を切った今秋の臨時国会提出の日程にこだわらない考えを示した。提出を断念するのかを問われ、『私は一つの目標として投げかけた…どうしていくかについては党と国会に任せたい』と述べた」と報じている。

発言後退について、メディアは、森友・加計学園疑惑など安倍政権中枢を揺るがすスキャンダルが相次ぎ、7月2日投開票の東京都議選惨敗にはっきり示された安倍内閣と自民党への支持低下を挙げた。さらには党内での慎重論台頭も一因とする向きもあった。

総選挙後さらに腰引く

ところが、北朝鮮の核・ミサイル開発を巡る情勢緊迫をチャンスと見て、「国難突破解散」と煽りたてた10月22日投開票の総選挙で自公与党が改めて衆参両院ともに改憲発議可能な議席数3分の2超を達成した後も後退姿勢に変化はない。18年2月現在、側近議員に「3月の党大会で方針を示す」と語らせており、さらに腰を引いた。

第四次安倍内閣発足直後の11月1日の記者会見では「(国民投票を)19年参議院選挙に合わせるか否かの議論はしない」と日程に口を閉ざしたまま。1月4日の年頭会見の冒頭発言をみると「今年こそ憲法のあるべき姿を国民にしっかりと提示し、改憲に向けた国民的な議論を一層深めていく」と一見歯切れよい。だが「今年こそ」と力説したものの、「改正案を国会に提出」とせず「あるべき姿を国民に提示」とかわし、お茶を濁した感は否めなかった。

官邸ホームページ掲載の首相冒頭発言を文字起こしすると計2569文字、政権公約の大きな柱の一つとした改憲関連はわずか68文字だ。記者の「自民党内には今年中の国会発議を求める声があるが」との問いには「党内議論は活発になった。具体的な検討は党にすべて任せる」とリーダーシップをかなぐり捨てた。

安倍総裁に代わり、すべて任された二階俊博自民党幹事長が1月12日、BSフジ「プライムニュース」に出演し、改憲日程について煙幕を張った。同幹事長が「今までの議論で相当なところまで来ている。1年もあればよいのではないか」と発言すると、メディアはほぼ一斉に「年内には国会発議に至るとの見通しを示した」と報道した。

しかし、「1年もあればよい」発言は、「自民党案の取りまとめに」なのか、「改正案の国会提出あるいは国会発議に」なのかを曖昧にしていた。このためか、番組のホスト役と思しき人物が「自民党案をまとめるではなくて、憲法審査会の発議?」と問うと、二階氏は「そうです」と相槌を打った。

「憲法審査会の発議?」は意味不明。衆参両院の憲法審査会を指すのであれば、「発議」はあり得ない。国会議員(衆院100人以上、参院50人以上)の賛成で改正案の原案が国会に提出され、衆参の憲法審査会で審査されて過半数で可決されれば案は本会議に付され、両院の各本会議で3分の2以上の賛成で可決された場合にはじめて「国会で改正発議」となるからだ。

さらに二階氏は9条改定について「時間をかけて、国民的な大方の了解を得られる努力をすべき」と慎重で、19年夏参院選と憲法改正国民投票の同時実施についても「あまり簡略的にやらない方がいい」と否定的。この日の幹事長発言は結局、「何も決まっていない」と述べたに等しい。メディアに「年内に国会発議の見通し」と報道させてとりあえずは党の体面を保っただけだ。極まった感のある自民党幹部らの無責任発言は以降、2020年現在まで延々と続いている。

変節の背景

改憲、とりわけ9条改憲を巡る世論は安倍政権に厳しい。安倍氏の胸中に「根強い異論のある党内や改憲自体に背を向ける公明党といった“身内”勢力を束ね、たとえ国会発議できたとしても国民投票乗り切りは難しい。頓挫すれば政権は維持できない」との危機感があるのは指摘するまでもなかろう。

18年1月半ばの共同通信社実施の世論調査では、「安倍首相の下での憲法改正に反対」は54.8%と過半数を超え、9条加憲案の「反対」は52.7%に上った。同じ設問をした2カ月前の調査結果とほとんど変わらなかった。

では世論と疑惑のいわばダブルパンチに見舞われながらなら、安倍氏はあえて17年5月に改憲施行時期を東京五輪開催年の2020年と定め、翌6月には17年秋の臨時国会で改憲案を提出するとまでハッタリをかました挙句、なぜ8月に突然これを取り消したのだろうか。

これを説明するには安倍政権を直撃した同年7月の都議選惨敗の「深層」に少々踏み込む必要がある。安倍氏の焦りを増幅させたのは、言うまでもなく、16年7月の東京都知事選に自民党を離党して無所属で出馬し圧勝した小池百合子氏が地域政党「都民ファーストの会」を立ち上げて都議選で「小池旋風」を巻き起こし自民党を“蹴散らした”ことだ。小池氏は17年2月には特許庁に国政選挙に向けた新党名「希望の党」を商標登録。衆院解散直前の同年9月25日の結党後は民進党を分断して野党再編し、安倍自民に対抗できる第二保守党を結成しての政権交代へのうねりをにわかに高揚させた。これが安倍氏の改憲を巡る言動に急ブレーキを掛けたとみるべきだ。

安倍氏が直接絡む一連の政治スキャンダル浮上と小池氏主導の保守新党結成の動きは米国の対日政策を主導する知日派ハンドラーたちの9条改憲に執着する安倍政権に対する警告だったとみる向きがある。「ワシントンは日本でも保守二大政党体制を望んでいる。安倍1強が続けば日本をハンドルするのに不都合な局面が出てくる。強引な九条改憲の動きもその一つ。野党の親米保守の代表格前原誠司率いた民進党を小池新党に合流させようとしたのはそのためだとピンときた」。公安畑を長く歩んだ検察OBはこう振り返った。

いずれにせよ、安倍氏は同年6月から8月までのある時点で明らかに変節した。改憲日程を改めて明示できないのはよほど大きく重い軛(くびき)をかけられ、身動きできなくなっているとみるのが自然である。

米報告書という軛

自民党は野党時代の2012年4月28日に新憲法草案(憲法改正最終案)を発表した。この日はサンフランシスコ講和条約発効60周年にあたり、改憲を党是と宣伝する同党が「占領の軛から解き放たれた記念日」に「自主自立の主権国家・日本の新たな基本法を内外に示そう」としたのは明々白々である。

自民党が草案を発表して4カ月後の12年8月、同年末の政権交代と安倍再登場を織り込んだかのようにワシントンから改憲の凍結を求める「書簡」が届いた。米国の超党派の民間シンクタンク、戦略国際問題研究所(CSIS)の対日政策提言書・アーミテージ・ナイ報告書第三弾がそれである。

2000年、07年、12年の三次にわたって米国から発せられたこの報告書について、政府は「民間のものなので政府は関知しない」と強弁してきたが、第三次レポートだけとっても、集団的自衛権行使容認、原発再稼動、環太平洋経済連携協定(TTP)推進、秘密保護法、武器輸出三原則の撤廃などその勧告が日本政府によってことごとく従順に政策化されてきた事実に背を向けるのは一部の安倍政権寄りの論者だけだ。

報告書は集団的自衛権行使容認要求と一体となった形で「平和憲法は改めるべきでない」と強く求めており、事実上改憲禁止の勧告となっている。CSISは一貫して「米国からの安全保障関連の要請は解釈改憲で対処せよ」と勧告しているのに、総じて日本のメディアは何故かこれを正視しようとしない。

三次報告書は「米日同盟:アジアの安定を確固たるものにする(The U.S.-Japan Alliance anchoring stability in Asia)」と題し、序論、1・エネルギー安全保障、2・経済と貿易、3・近隣諸国との関係、4・新しい安全保障戦略に向けて、結論、提言で構成され、四章の第七項「集団的自衛の禁止(Prohibition of Collective Self-Defense)で「集団的自衛の禁止解除」が提言される。

報告書は、中国の台頭への対処と米日韓の関係強化をアジアの安全保障課題の基調に据え、東日本大震災(3・11)に対処する米軍と自衛隊の共同救援活動「トモダチ作戦」の部隊展開で、集団的自衛権の禁止がアイロニーを惹起したと指摘する。

アイロニーとは「日本の現行の安保法制ではもっぱら米軍が自衛隊を助け、自衛隊は米軍を支援できない」ことを指し、米軍と自衛隊の活動一体化をさらに進めるには憲法九条の解釈変更が不可欠との勧告に向けて布石を打った形だ。

実際、「3・11は外からの脅威に対する防衛課題ではなかったため、米日両部隊は集団的自衛の禁止を気に留めずに活動した」と述べたのに続き、「トモダチ作戦では憲法九条を緩く解釈して対処した」と明かす。緊急災害救助活動だったとはいえ、自衛隊が事実上集団的自衛権を行使したと主張したのだ。

そして「皮肉なことに、日本の権益の保護が必要となる最も危機的な状況に際し、米軍は日本を集団的に(共同して)守ることが法的にできないでいる」と警告。集団的自衛権行使の禁止が米軍と自衛隊の統合を阻害しているとして、次のように提言する。,/p>

「日本の集団的自衛権の禁止を変更すれば、このアイロニーは完全に解決される。政策を変更しても…日本は軍事的にさらに攻撃的になろうとし、日本の平和憲法を改定しようとしてはならない(A change in Japan’s prohibition of collective self-defense would address that irony in full. A shift in policy should not seek …a more militarily aggressive Japan, or a change in Japan’s Peace Constitution.)」

太字強調した「should not」は「するな」との指令に限りなく近い。ワシントンは「集団的自衛権行使を、九条の枠内で、解釈改憲で容認せよ」との極め付きの難題を日本政府に突き付けた。それは米国の安全保障に関わる負担軽減と併せ、日本をハンドル(調教)するための軛をさらに強固にしようとするものだった。

超現実の現実化

この「指令」を受ける形で、安倍首相率いる日本政府は2014年7月1日の臨時閣議でそれまでの憲法解釈を変更して「限定的な」集団的自衛権の行使容認に踏み切ったのは周知の通り。自衛隊の米軍に従属する形での統合と一体化は決定的に強化され、自衛隊の軍事活動は中東・ホルムズ海峡のみならず地球全域に及び得ることになった。

閣議決定を踏まえた国会での安保関連法案の審議と採決は数に物を言わせての出来レースであった。

衆参両院の平和安全法制特別委員会を中心に盛んに論議が交わされたが、専門家の意見は「違憲」が圧倒的だった。特筆すべきは、「憲法学者の95%以上が違憲と判断」とされる中、連立与党の自民、公明両党が最も注視された15年6月4日の衆院憲法審査会の参考人に合憲論の学者を選ばず、参考人3人がいずれも「集団的自衛権行使容認は違憲」と断じたことだ。

もう一つ挙げるとすれば、同22日の衆院平和安全法制特別委員会で5人に対する参考人質疑が行われ内閣法制局長官経験者2人含む3人が「違憲」とし、うち2人が「安保関連法案の撤回、廃案」を求めたことである。

そうであるが故に、安倍政権はこれを逆手に取り、何が何でも憲法九条を改め、現下の自衛隊の存在と活動を「正式に合憲化しなければない」と自らを強迫した。米国からの集団的自衛権行使容認勧告は自衛隊の「存在価値」を高める渡りに船だったかも知れないが、「7割の憲法学者が自衛隊を違憲とみなす」現状は彼らにとって桎梏と化している。

「北朝鮮の脅威に対して24時間365日頑張っている、自衛隊の皆さんについて、教科書に違憲論が載っている状況を一日も早くなくすべきだ」。総選挙大勢判明後の10月22日夜の記者会見で安倍首相はこう発言した。この言葉に象徴されるように、安倍氏の最近の改憲を巡る主張は「自衛隊の皆さんが気の毒。報いたい」との感情の問題にすり替わった。また「このアイロニーを解決するには憲法に自衛隊条項追加は不可欠だ」と開き直り、ワシントンのジャパンハンドラーたちの顔色を伺ったともとれる。

専守防衛(個別的自衛)に徹するとされた自衛隊ですら違憲との見方が主流といえる中、ワシントンからの「指令」である集団的自衛権の禁止解除は立憲主義と法理を「超越」したのだ。いわば嘘が真実を弾き飛ばし流布される「ポスト真実の時代」を幕開けさせ、超現実を現実とした。

いじましい「加憲」案

安倍「加憲」案は九条の一項、二項を維持し、第三項を追加して何らかの文言で自衛隊を明記するというものだ。メディアは「自民党は17年末の論点整理で党原案を併記したが、安倍『加憲』案で大勢は決している」と伝えていた。結局、国会に提出する自民党改憲原案としては採択されなかった。

2012年4月に公表された自民党の改憲原案では九条は「1.日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動としての戦争を放棄し、武力による威嚇及び武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては用いない。2.前項の規定は、自衛権の発動を妨げるものではない。」と書き改められ、現憲法の一項を太字部分へと変更、二項(戦力の不保持、交戦権の放棄)は削除されている。

九条二項を全文削除して「自衛権の発動を妨げない」と差し替えれば、解釈改憲で「戦力に当たらない必要最小限の実力組織」とされてきた自衛隊は、集団的自衛の名の下、自衛の手段として「武力の行使」を世界規模で訴え得る戦力とる。

これでは護憲派野党や日本の世論からはもとより、「改憲はするな」と勧告してきたワシントンからも門前払いされるのは必至。

苦肉の策として練られたのが二項の「戦力の不保持、交戦権の放棄」を維持した「加憲」案であろう。だがこの案では自衛隊はこれまでの「実力組織」にとどまり、三項追加は無意味となる。

実際、「何のための改憲か」との批判が噴出する中、安倍氏は18年1月末の国会答弁で「フルスペックの集団的自衛権の行使は認められないのではないか」と述べ、自民党内で根強い二項削除案が集団的自衛権の全面容認につながる可能性を指摘し「加憲」案の妥当性を訴えてみせた。

ただし、九条に自衛隊明記の三項を追加すれば、「後法優先の原則」によって一項と二項が空文化する、との指摘がある。安倍氏と一体の右翼団体・日本会議と繋がる日本政策研究センターは機関誌に「速やかに九条二項を削除するか、あるいは自衛隊を明記した第三項を加えて二項を空文化させるべき」(月刊情報誌『明日への選択』16年11月号)と唱え、「加憲」を後押ししていた。

いずれにせよ自衛権、自衛隊の明記だけでは政権交代すれば集団的自衛権行使が否認されて新安保法制が撤回される可能性があり、安倍「加憲」は破たんする。「党にすべて任せるので大いに議論して欲しい」とさじを投げたのが何よりの証拠である。

実際、ジャーナリストの田原総一朗氏は17年10月の総選挙期間中に東京の外国特派員協会で会見し、前年(16年)に安倍首相と差して話した際、首相から「集団的自衛権の行使を決めたら、アメリカは何も言ってこなくなってきた。アメリカは満足したのだろう。だから、憲法を改正する必要はない」と打ち明けられたエピソードを披露している。

とはいえ「選挙結果次第で首相は憲法改正に手をつける」と田原氏が予測したように、安倍氏の“政治前歴”からして無作為ではすまされなかった。換言すれば、「加憲」案は抜いた刀の納めどころを探る「いじましい提案」だったのだ。

安倍政権を「正す」

ここでワシントンが党派を超えて安倍政権の登場を警戒、否、厳重警戒したことを想い起こす必要がある。2006年9月の発足から1年足らずで瓦解した第一次安倍内閣のスローガンはまるで戦前を美化するような「美しい国・日本を取り戻す」「戦後レジュームからの脱却」であり、歴代保守政権が成し遂げられなかった教育基本法改定、防衛庁の省昇格を目指し、民主化、非軍事化=平和主義の徹底を基調とする米国の初期占領政策に真っ向から挑んだ。警戒のヒモは10余年後の今も緩んでいない。

米政界が安倍政権をどう見ているかは07年4月の初訪米時のドタバタ劇に端的に現れた。米下院が従軍慰安婦問題を巡る安倍氏率いる日本政府の対応に謝罪要求を決議しようと動く中、それを打開しようとワシントンに乗り込んだもののあえなく頓挫した一件だ。決議案は6月末に圧倒的多数で可決され、「狭義の旧日本軍の関与はなかった」との安倍見解は一蹴された。日本の外務省幹部は「前代未聞の首相訪米だった」と回顧する。

さらに印象的だったのが再登場(第二次安倍政権発足)直後13年2月の訪米時にオバマ大統領(当時)がみせた嫌悪感だ。大統領主催の昼食会では、オバマ氏のテーブルの上にはミネラルウオーターが1本置かれただけ。首脳会談後の共同記者会見はホワイトハウスの室内で椅子に座ったまま行われた。オバマ氏の口調は冷え切り、意気消沈を隠せずこわばった表情の安倍氏から発せられた言葉は「日米同盟の信頼、強い絆は完全に回復した」。だが安倍氏への信頼は元々なく、回復はあり得なかった。同年12月末に強行した安倍首相の靖国神社参拝に対して、オバマ政権が在日米大使館を通じて「米国は失望している」との異例の声明を出したのは記憶に新しい。

では安倍氏が「かつてない信頼関係を築いた」と誇るトランプ現大統領との関係の実態はどうなのか。

トランプ大統領の発言は概して粗野である。であるが故に、臆面もなく虚言を吐き、大言壮語する一方、時として米国エスタブリッシュメントの本音を荒々しく代弁する。17年11月5日、訪日の幕開けとなった東京近郊のゴルフ場クラブハウスで安倍氏はいきなり激しい一撃を見舞われた。トランプ氏は「DONALD & SHINZO MAKE ALLIANCE EVEN GREATER(ドナルド&シンゾーは同盟をさらに大いなるものにする)」と英語で金色の刺繍がほどこされた白いゴルフ帽のつば中央にこれ見よがしに大きくサインし、安倍氏のそれをふちに追いやってしまった。

翌日の共同記者会見では日米関係の根幹に触れるむき出しの本音が飛び出た。あらかじめ用意されたスピーチ原稿の「日本は世界屈指の経済力のある国を築いた」との件を読み終えると突然朗読を中断、即興で「日本が米国に並ぶとは思わない。2位(ザ・セカンド)だ」と語り、しかも安倍氏に面と向かって「そうだろ、いいな。(OK?)」と言い聞かせるようにダメを押した。

「2位」は「噓も方便」だった。要するに、トランプ氏は「軍事=安全保障、経済、外交などいずれの分野でも虎(米国)の尾を踏むな。日本は米国の後に付き従え」と暗に恫喝したと解する他ない。

首脳外交の表舞台でここまで露骨な言葉を吐く国家元首は寡聞にして知らない。オブラートに包まれてきたワシントンの本心が表に跳ね出た。中国や韓国政府からの非難や攻撃的言辞には激しく反発する日本の右派メディアは、意図してか、沈黙し、この前代未聞の“屈辱的シーン”を決して報じることはなかった。

トランプ政権の軌道修正

選挙キャンペーン時から大統領就任一年を経た今日までのトランプ氏を巡る言動の破天荒ぶりと先行き懸念は世界のメディアが連日洪水のように伝えており、ここではトランプ政権継続を前提に安倍改憲の帰趨を考えるうえで不可欠な点のみ触れる。

トランプ氏はネオリベ、グローバリストや政界主流派、ウォール街を忌み嫌い、「低学歴、白人男性労働者」に象徴される庶民の味方、「米国第一」をスローガンに既成秩序の破壊者を演じて見せ、「安全保障にカネを費やすな、米軍を海外から引き上げろ」とのスティーブ・バノン氏らの主張を選挙戦術として巧みに利用した。

ところが就任後は米軍産複合体のトップセールスマンへと“変身”。初外遊の最初の訪問先、サウジアラビアでは12兆円相当の武器売却契約に署名し、昨年11月のアジア歴訪では、「肝心なのは、日本が膨大な兵器を追加購入すること」(日米首脳共同会見)、「韓国は数十億ドル注文すると言ってくれた」(米韓首脳共同会見)とあけすけに語る始末。

最側近とされた首席戦略官・上級顧問バノン氏を昨年8月に「選挙参謀はお役御免」とばかりに解任、一月にはトランプ政権内幕暴露本に加担したのに激怒し、株主に働きかけて、バノン氏の影響力の源だった保守系ニュースサイト『ブライトバート・ニュース・ネットワーク』の会長職からも事実上追放した。

就任から一年経ち変化の兆しが出てきた。その端緒が「炎と怒り」の矛先を激烈に向けた北朝鮮への一連の対話容認発言、気候変動抑制に関する多国間合意・パリ協定に復帰する可能性があるとの表明(1月11日付英インデペンデント紙記事)。これを皮切りに二月現在、TPP復帰の可能性まで言及し始めた。

ワシントンポストは17年4月4日付記事で「(バノン氏やフリン前補佐官と対立した)マクマスター国家安全保障担当大統領補佐官は密かにNSC(国家安全保障会議)を保守本流の外交政策専門家で固めてきている」と伝えていた。対日政策でも、アーミテージ・ナイ報告書が敷いた路線に沿っているのは間違いない。

キッシンジャーと「ビンの蓋」

トランプ政権の対日政策を見るうえで不可欠な人物が外交政策指南役となったヘンリー・キッシンジャー元国務長官である。ホワイトハウスホームページにアップされた映像をみると、トランプ氏は17年5月10日、大統領執務室で代表記者団に94歳になるキッシンジャー氏を恭しく紹介し、「大統領になる前からの旧知の仲」「議論出来て光栄だ」などと低姿勢で語った。

16年11月8日投開票の米大統領選で勝利が確定すると間もなくトランプ氏はキッシンジャー氏と面談、アジア政策では対中問題を中心に“指南”を請うたという。中国の複数のメディアによると、トランプ当選の懸念払しょくを目的に、同氏は同12月初めに中国を訪問し、習近平総書記と会談して米新政権の対中外交方針を伝えた。この際、米中両国が安倍政権とどう向き合うかも突っ込んで議論したことは疑いの余地がない。

ここで想起すべきは、キッシンジャー氏がいわゆる「ビンの蓋」論の元祖、すなわち日米安保条約と在日米軍基地を堅持して日本の軍事的な再台頭に蓋をするとの「日本封じ込め」論を最初に提唱した米政府高官だったことだ。「改憲や核武装は日本が決めること」との放言もあるが、当然のことながら、「平和憲法の維持」が「ビンの蓋」論の礎となる。

当時安全保障担当大統領補佐官だったキッシンジャー氏は中ソ対立の隙を突き中国に接近して冷戦の構図を塗り替えようと図るニクソン大統領の訪中を密かに準備するため1971年と翌72年に二度北京に飛んだ。

神出鬼没の「忍者外交」を展開して米中和解の先鞭を付けた同氏が71年10月に周恩来首相と行った極秘会談の記録が二年に公開された。会談は計四時間に及び、うち日本に関する議論は四〇分以上が充てられたという。以下、「日本は危険な国」との見方で両者が一致したポイント部分を一部割愛して引用する。

周「日本はものの見方が偏狭で、全く奇妙だ…」

キッシンジャー「日本は…あまりに異質…突然の大変化も可能で、三カ月で天皇崇拝から民主主義へと移行した…日本に対しては何の幻想も抱いていない…もし日本に強力な再軍備拡張計画があるならば、伝統的な米中関係が再びものをいうだろう。日本を自国防衛に限定するよう最善を尽くし…日本の拡張阻止のため他の国と共闘する…」

周「日本は米国のコントロールなくしては野蛮な国家だ。拡大する経済発展を制御できないのか。」

キッシンジャー「軍事的側面以外では完全に制御はできない…駐留米軍の撤退を…首相は喜ぶべきでない…米国が日本を経済大国にしたことを今日後悔している」。

「日本封じ込め」とCSIS

現在の中国は米国とその同盟国によって敷かれた対中包囲網に激しく反発、当然にも、米国が集団的自衛権行使容認を日本に強要するに至ったことを強く警戒している。これはさておき、この会談には、日米経済摩擦の激化で1980年代にピークに達したジャパンバッシング、安保ただ乗りと責任分担論、90年代初めに台頭した日本異質論、それに続く日本の歴史修正主義者批判の種がまかれており、米中両国が以降これを共通の基本認識とし、時々の状況に応じながら「日本封じ込め」で手を携えてきたことは想像に難くない。

キッシンジャー氏が顧問を務める対日提言の発信元、米戦略国際問題研究所(CSIS)とのつながりは深い。1977年にフォード政権の退陣と共に国務長官を退任した同氏は、国際関係や外交問題研究では世界屈指とされる米ジョージタウン大学に当時設けられていたCSISに招かれ、長く影響力を発揮してきた。トランプ政権発足に際しては国務長官に就任したレックス・ティラーソン氏をはじめCSISのかつての同僚らを推薦した。

CSISからの対日提言が日本政府を強く拘束したのは他言を要しない。事実上米政府からのそれと同等の重みがあるからだ。13年2月の訪米でオバマ氏に冷たくあしらわれた安倍氏がホワイトハウスを立ち去った後、逃げ込むようにCSISを訪ね、スピーチ冒頭で「戻ってきました(I’m back)」と挨拶したことがすべてを暗示した。

第三次報告書が出された際、オバマ大統領に慕われ外交政策をアドバイスした元安全保障担当大統領補佐官ズビグネフ・ブレジンスキー氏(1928‐2017)、報告書の共同執筆者で元国務副長官リチャード・アーミテージ氏、元国務次官補のハーバード大特別功労教授ジョセフ・ナイ氏、国家安全保障会議(NSC)元東アジア担当大統領特別補佐官マイケル・グリーン氏ら多数の元政府高官がCSISの要職にあった。「報告書は米政府関係部局との協議だけでなく上下院の関係議員にも根回しされた」(外務省幹部)。

トランプに翻弄される

11月のアジア歴訪に際して、キッシンジャー氏は、米中関係について「米国主導の国際秩序に挑む中国をけん制しながらも二大国として対等に扱い、相互理解に力を尽くす」を基本に据えて助言したようだ。実際、英ロイターは同9日、「トランプ大統領は、習総書記と中国を手放しで称賛。巨額の対米貿易黒字を増やし続ける同国の能力さえほめそやし、その責任は歴代の米大統領にあるとした」と伝えた。

このトランプ政権の姿勢は日本の対中外交に少なからぬ影響を与えている。大統領のアジア歴訪後、17年12月に訪中した自民党の二階、公明党の井上両幹事長は、中国主導の新経済圏構想「一帯一路」を素晴らしい考えと称賛。「趣旨に沿いプランを応援する」と述べて、同構想への参加の意向を表明した。

トランプ大統領が訪中の大きな成果として胸を張った34件のビックビジネス契約総額2535億ドル(約28兆円)のうち米企業の参加する「一帯一路」建設関連が特別視されたことを考慮すれば、上の自民、公明両党幹事長の発言の背景は容易に読み取れる。「一帯一路」を巡る米中の水面下での急接近に日系企業が「日本政府の意向が不明、勝手に動けない」と焦りを募らせていたからである。

トランプ氏が「中国とはビジネス重視で協調しろ。改憲すれば日中ばかりか米中関係にも深刻な影響が出る。いいな。」と直接釘を刺したかどうかは知る由もない。だが滞日中安倍氏と計九時間半もともにしたトランプ氏が改憲の動きに何らかの形で異議を唱えた可能性は否定できまい。

「美しい日本の憲法をつくる国民の会」共同代表で安倍氏の盟友とされる桜井よしこ氏はトランプ訪中直前にブログで「米外交が目に見えて揺らぎ始めた理由のひとつに、トランプ氏に助言するキッシンジャー氏の存在がある」と述べ、同氏が米外交を敗北に導いていると憤り、膨張する中国の脅威を煽って「自国を自力で守れる国になるための憲法改正を急ぐとき」と結んだ。安倍氏取り巻き総代としての抗議だった。

蔓延る防衛利権

北朝鮮情勢緊迫と中国の脅威を口実に東アジアの米国の同盟国の防衛予算は膨らむばかりだ。日本の場合、17年度は過去最大の5兆1251億円。ミサイル防衛強化を名目とする高額な米国製最新兵器の追加購入が重くのしかかり、18年度予算案の防衛関係費は6年連続過去最大を更新しての5兆1911億円。17年度補正予算案も過去最大となった。

「力による平和」を唱えるトランプ政権が米議会に提示した18会計年度(17年10月~18年9月)予算教書での国防費の基本予算は前年度比10%増の5740億ドル(約65兆円)と急増。対する中国の17年度国防予算は前年度比7%増 の1兆440億元(約17兆2000億円)、実際の国防支出は公表額の約1.5倍とされる。中国製兵器の輸出も急増している。

中国元の一部金兌換に裏付けられた国際通貨化が一定の進展をみせているとはいえ、米国を先頭に肥大化した軍事費が世界中に米ドルの過剰流動に伴う金融恐慌発生のリスクを高める一方、防衛利権を巡る腐敗の種がグローバルにばらまかれる基本構造に大きな変化はない。国防・防衛費の増大は米国の軍産複合体のみならず、米国製兵器を米側の法外な「言い値」に従い購入する日本政府や軍需企業に群がる請負企業、商社、コンサルタント、そして政界への巨大な利権をさらに拡大している。北朝鮮や中国の脅威が煽られるほど利権を貪る関係者の表情は緩むはずだ。

「異質で危険な日本の軍事再台頭に蓋をしよう」と周恩来首相に提案したキッシンジャー氏。その“弟子”トランプ氏に、安倍晋三という人物、彼に率いられる日本政府がどう映っていたかは他言を要しない。

ひとたび日本で防衛利権を巡る疑惑が政権周辺で浮上し、疑獄事件へと発展すれば政権は確実に崩壊する。安倍政権から見れば、トランプは何をしでかすか分からない「とんでもない男」だったはず。トランプ当選で日本政府中枢に「田中角栄元首相逮捕に至ったロッキード事件キッシンジャー謀略説」がフラッシュバックしたと推測しても決してうがち過ぎとは思えない。

英BBCが「キッシンジャー氏が次期大統領宅に姿を見せた」と報じた16年11月17日夕(現地時間)、安倍首相は「時期尚早」と断ろうとしたトランプ氏の意向を無視する形でニューヨークの自宅トランプタワーに押しかけた。会談後は単独で記者会見し、「信頼できる指導者だと確信した」と語り、安堵感をにじませた。南米ペルー・リマで開かれたアジア太平洋経済協力会議(APEC)首脳会議への参加途中に立ち寄ったと説明されたが、文字通り前代未聞の出来事であった。

疑惑それとも疑獄

日本の防衛産業は、商社、内外のコンサルタントらが防衛省と日米軍需企業との間を取り持ち、かつては入札なしに防衛相が任意に相手を選んで締結する随意契約が大半だった。これが官製談合、官民癒着の温床となり、〇七年に守屋武昌元防衛事務次官が商社・山田洋行から装備品納入に関する便宜供与容疑で接待や賄賂を受け収賄罪などで逮捕、起訴されたのは腐食の構造を象徴する事件だった。だが「巨悪の剔抉(てっけつ)」は未完のままだ。

同年末には第一次内閣崩壊で退陣した安倍氏にも防衛利権を巡る影がちらついた経緯がある。モリカケに続き、東京地検特捜部の手掛けるスパコン疑惑、リニア新幹線工事発注を巡るゼネコン談合事件のいずれも安倍氏取り巻き、いわゆる「アベ友」絡みの政治スキャンダルだ。“巨悪の眠る利権の宝庫”防衛調達を巡っては、政治家、とりわけ政権中枢、関係閣僚、国防族とその周辺はまさに「たたけばホコリ」の態であろう。ホコリの舞い上がる気配はトランプ大統領が就任した17年1月20日から半月余り後に漂い始めた。

同年2月、「通常の一割程度の価格で国有地が校舎建設用に売却された」事件を巡り安倍夫妻の関与が取り沙汰された森友学園疑惑が浮上。このスキャンダル報道が燃え盛る最中の同年5月、今度は安倍氏の刎頚の友が理事長の学校法人・加計学園の獣医学部新設認可を巡って「総理のご意向」などと記された文部科学省の文書が存在するとの疑惑が報道され始め安倍政権は揺れに揺れた。

安倍氏はモリカケ追及に逸る野党の開会要求を拒み続けた末、同年9月28日に開いた臨時国会冒頭で改憲案提出など忘れたかのごとく衆院を解散した。米軍基地の存在と日米の軍事一体化ゆえに日本が北朝鮮の核・ミサイル攻撃の潜在標的となっているのは確か。だが「国難突破」はあまりに見え透いていた。

「安倍はモリカケに続くもっと大きな疑惑の浮上、さらには野党勢力を再編して政権交代に挑む新たな保守党の台頭に焦った。内外からの『安倍降ろし』の足音の高まりにおののき、野党側の選挙態勢の整わないうちに総裁三選を睨んで解散総選挙に起死回生を賭けた。小池の『排除いたします』で蘇生した」。

政界の裏事情に通じる複数の人物は異口同音にこう説く。この指摘は、改憲を巡る安倍氏の萎縮ぶりと解散の真相を氷解させた。

2019年には「桜を見る会」疑惑が浮上。「安倍退陣」を求める論調も急速に高まっているが、果たして土俵際に追い詰められているのかははっきりしない。野党議員質問中の信じがたい「首相のヤジ」の連発は居直りとも思える。

冷酷な「改憲禁止」指令

改憲を禁じた12年CSIS報告書共同執筆者の一人ジョセフ・ナイ氏は14年7月の安倍内閣による集団的自衛権行使容認の閣議決定直後に来日してテレビ報道番組に出演、「過度なナショナリズムは百害あって一利なし」と発言し、改憲に執着する安倍政権を強くけん制した。

米国の敷いたレールを逸脱すれば、確実にさまざまな疑惑が浮上して権力の座から追われるのは戦後史における一連の疑獄事件が証明している。相次ぐ閣僚の不祥事、自身の脱税疑惑が週刊誌で報じられるなどして体調不良に陥り政権を投げ出した第一次政権の末路が安倍氏のトラウマであるのは指摘するまでもない。

ワシントンの裏情報に神経を尖らせながら、「1強」を維持して総裁三選を2018年に果たし、首相在任期間の憲政史上最長は19年に達成した。改憲を断念したから総理の座に留まれたというのが安倍氏の本音であろう。万が一安倍「加憲」案が自民党原案として国会提出されたところで、国民投票は言うに及ばず、それに至るプロセスでは否決される可能性が高い。改憲頓挫となれば退陣圧力はさらに高まる。

安倍4選はあるのか。それは改憲の帰趨と表裏一体の関係にある。自民党総裁に4度選ばれれば安倍政権は任期上24年9月まで続く。しかし、ワシントンからの「改憲禁止」指令に縛られる安倍氏は今後最長4年半も改憲への執着を装い続けねばならない。「改憲公約」は復古的な対米自立を胸に秘めつつ隷属を続けるこの異様な政権を疲弊させ、ワシントンの判断次第では再びあっけなく自壊しよう。安倍改憲の息の根は止まり、歪ながらも戦後レジュームは「恒久化」されることになる。

 

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