ウクライナ・ネオナチや日本会議操る米ネオコン 覇権拡大に手段選ばず

第二次世界大戦は米国をはじめ戦勝国によって「ファシズムに対する自由主義陣営の勝利」と謳われた。約半世紀後の東西冷戦終結では「全体主義に対する自由主義陣営の勝利」が唱えられた。その自由主義陣営のリーダーとして振る舞ってきた米国の支配層がナチスの残党をウクライナで反ロシア民族主義勢力に育成しロシア軍と戦わせている。一方、日本では戦後のソ連封じ込めのため残存させた極右国粋主義勢力を日本会議などに統合し中国敵視扇動に尽力させている。東西のネオファシストを操っているのがブレジンスキー構想をポスト冷戦戦略として具体化したウルトラタカ派の米ネオコンである。平和を愛する諸国民の公正と信義を信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した」と謳った日本国憲法前文は草案を作成したGHQ民生局が国連憲章の理念を汲み取って案出された。民生局に結集したニューディーラーたちは帰国すると共産主義者のレッテルを貼られ追放される。現代米国の支配層は覇権の維持、拡大のためには国連無視の武力行使はもとより手段を選ばない。21世紀の今日、「反米国家は潰す」との新たな赤狩り旋風がグローバルに吹き荒れている。「公正と信義」への信頼は地に墜ちた。

:2022年3月3日掲載記事「プーチン追い詰めたブレジンスキー構想 ウクライナ危機と米のユーラシア覇権」を参照されたい。

■少なくない「隠れロシア支持」

「ウクライナ政府はネオナチに支配されている」と主張するプーチン露大統領はウクライナ兵に対し「ネオナチを排除しよう」と呼びかけた。米国サイドはこれを狂人のたわ言と一蹴し、せせら笑っている。2月24日にロシア軍が国際法違反を到底否定できない軍事侵攻に踏み切ったことで「プーチン・ロシア=絶対悪」は西側で揺るがぬ世論となり、徹底的な経済制裁でロシアの衰退加速と自壊を目論む米ネオコン主導の戦略は軌道に乗ったかのように見える。

しかし、米ネオコン・ウクライナネオナチ連合と戦うロシアを見かけは消極的ながら支持する国は中国をはじめ決して少なくない。国連総会非難決議の反対票(5票)の少なさでロシアの孤立を指摘するのは早計だ。

中露主導の上海協力機構(SCO)は「ユーラシア同盟」へと進み、加盟国の総人口は30億人を超える。現加盟8カ国は世界人口の半分近くを占め、面積人口では世界最大の地域協力組織となった。中国・ロシア・インドといったユーラシア大陸における潜在的超大国 を抱え、モンゴルアフガニスタンイラントルクメニスタントルコ東南アジア諸国連合 (ASEAN) もオブザーバーなど様々な資格で参加している。今後は北アジア西アジア中央アジア南アジア東アジアに勢力を広げて一大連合体に発展する可能性を持つ。

さらに中南米、アフリカ諸国にも反米・親中露路線を採用する国が目立ち、「隠れロシア支持」が多い。アフリカのように植民地国だったか、中南米のように絶えず米国の軍事介入を受けてきた国が大半であり、その悪賢さ、ダブルスタンダードを身をもって経験しているからだ。「ウクライナの非ネオナチ化」が表立たずに支持されているのは間違いない。

■ウクライナ・ネオナチの起源とその展開

さて今回軍事力でロシア政府が排除しようとするネオナチはどこに起源があるのか。米支配層は1930年代からナチスをはじめとするファシスト、第二次大戦の末からはマフィアを手先として利用してきた。大戦後、米CIAはナチス幹部や協力者の逃亡を援助し、利用してきた。保護しながらさまざまな訓練を行い、ソ連邦消滅後は出身国あるいは父祖の国へ送り返して米国の工作に使っている。イスラムテロリストも同様だ。

ウクライナのネオナチの系譜は西ウクライナ生まれのステファン・バンデラ(1909~1959)に遡る。バンデラはウクライナ民族解放運動のリーダーで、ソ連(ロシア)やポーランドの支配からのウクライナの解放を唱え、その信奉者たちがウクライナ民族主義者機構バンデラ派OUN・B)を結成した。

【写真】2022年2月1日、ウクライナ各地であったバンデラ生誕113周年を祝うデモ

 

ウキペディアによると、バンデラは1935年にポーランド警察によって内務大臣暗殺事件に関与した容疑で逮捕され、終身刑に処される1939年にポーランドに侵攻したナチスドイツがバンデラの身柄を解放する。その後、ウクライナ民族主義者組織大会においてOUN総裁に選ばれ、「敵の敵は味方」論からウクライナを管轄下に置いていたソ連からの解放軍としてナチスドイツを支持し、ウクライナ国家再生宣言を起草した。戦後はウクライナがソ連に再占領されたためドイツ南部へ移住。西ウクライナでソ連軍に抵抗を続けたウクライナ蜂起軍司令部と連携する。1959年10月にミュンヘンでソ連KGBスパイとされる男に暗殺された。

ウクライナ国家再生宣言は当時ウクライナを支配していたナチスドイツに拒絶されたものの、大戦後ウクライナ民族主義者機構バンデラ派とその末裔は反共保守色の濃い南部ドイツバイエルン州を拠点に生き続け、そこがネオナチの揺籃地となる。東西ドイツ統一後に頻発するようになるトルコやベトナムをはじめアジア系移民労働者の殺害や住居放火などを実行し、白人至上主義と人種差別を公然と口にするネオナチがドイツを中心に中欧・東欧で表に現れた。彼らの一部はソ連崩壊を受け独立したウクライナに帰還する。それに米ネオコン米英の諜報機関が関与していたのは疑いの余地がない。

■米国に取り込まれたネオナチ

日本の公安調査庁はHPに「極右過激主義者の脅威の高まりと国際的なつながり」と題する記事を掲載し、次のように書いている。

「2014年、ウクライナの親ロシア派武装勢力が、東部・ドンバスの占領を開始したことを受け,『ウクライナの愛国者』を自称するネオナチ組織が『アゾフ大隊』なる部隊を結成した。 同部隊は、欧米出身者を中心に白人至上主義やネオナチ思想を有する外国人戦闘員を勧誘したとされ、同部隊を含めウクライナ紛争に参加した欧米出身者は約2,000人とされる。」

NATO本部は 3月8日の国際女性デーにウクライナ女性民兵の写真をツイッターで流布した。ところが女性民兵の胸にナチス親衛隊が用いた「ヴォルフスアンゲル」紋章=上の写真=が確認され、NATOは急遽ツイッターを消去している。この紋章を使用する「アゾフ大隊」はウクライナ内務省管轄の国内軍組織である国家親衛隊に所属している組織であり、ウクライナ正規軍である。

塩原俊彦高知大学准教授(ロシア経済論)の著作『ウクライナ・ゲート――「ネオコン」の情報操作と野望』により、2014年のウクライナ危機からロシアのクリミア併合にいたる過程で、混乱をもたらしている元凶がウクライナのナショナリズムとその「過激派」を背後で操る米ネオコンであることが証拠をもとに浮き彫りされている。ウクライナ危機はオバマ大統領が仕掛けた「ウクライナ・ゲート事件」とされる。

ウクライナのネオナチはジョージ・ソロス基金やNGOから資金を受けとるグループを多数設け、TV、インターネット、無人機などを駆使して反政府活動を行ってきた。その運動に当時のヌーランド米国務次官補やジェフリー・ピオット駐ウクライナ米国大使が直接指図していたことが暴露されている。また米国に担がれたネオナチが副首相をはじめ複数の閣僚としてウクライナ政府に入りこんだ。

最大の利益享受者は米軍産複合体である。塩原准教授の著作は、当時から欧州市場を狙う米ガス会社が「ロシアを悪者に仕立て上げ、ロシアへの過度なガス依存の危険性を欧州諸国に周知させる」との計画を持っていたことを教えてくれる。

■ネオコンの狂気が行き着く先

2014年クーデターで主力になったネオナチグループを率いていた人物がドミトリー・ヤロシで、2019年に就任したゼレンスキー大統領にウクライナ軍総司令官顧問に任命された。彼は2007年からNATOの秘密部隊ネットワークに参加。ヤロシをはじめネオナチは米国がチェチェンで行っていた対ロシア戦争に参加し、中東のジハード傭兵たちと結びつく。

当時NATO米大使を務めていたのがオバマ政権で国務次官補となるビクトリア・ヌーランドだ。彼女の上司がホワイトハウスで副大統領として2014年クーデターを統括していたバイデン現大統領である。ヌーランドの夫ロバート・ケーガンネオコンの代表的な論客として名高い

1991年12月のソ連消滅を受け、米国防総省は翌92年2月に国防政策指針を秘密文書として作成した。最高責任者は当時の国防長官でブッシュ子政権の副大統領となるリチャード・チェイニーで、中心になったのは国防次官ポール・ウォルフォウィッツだった。2001年9月11日の米同時多発テロ事件を受けて登場したブッシュドクトリンと通称される戦略思想の基礎となるこの指針は旧ソ連圏の復活を阻止するだけでなく、潜在脅威であった中国や欧州連合(EU)の封じ込めを主眼とした。また米国覇権の基盤になるエネルギー資源を支配しようとして中東もターゲットとした。

当時の欧州連合軍最高司令官ウェズリー・クラークによると、1991年の段階でウォルフォウィッツはロシア封じ込めの前線としてイラク、シリア、イランの殲滅を目標とし、国連無視の姿勢を公然と打ち出した。ウォルフォウィッツ文書は「ユーラシアを管理する初の非ユーラシア国家」として米国を位置付けたブレジンスキー構想を戦略として先駆けて具体化していたと言える。

ウォルフォウィッツ国防政策指針の要は世界の秩序は米国によって維持されなければならない。必要とあらば米国は、単独でも行動する」にある。これは集団安全保障を基本理念とする国連が柱となる戦後の国際秩序に対する拒絶宣言に等しい。米ネオコンはこの驕り狂ったドクトリンを大義として掲げ、武力行使をいとわず敵対国の体制転換を図ってきた。それは民主化という名を使った主権侵害となり、数多の流血を引き起こしている。

ジョージ・W・ブッシュ政権後、オバマ、トランプ両政権では表向きおとなしかった米ネオコン勢力はバイデン政権で再び勢いづいている。ロシアと中国との新冷戦を推進し、中露を入れた5カ国で構成する国連安全保障理事会常任理事国制度を拒否、第二次大戦戦勝国の連合組織(国連:the United Nations)による国際秩序に修復不能な亀裂を持ち込んでまで米単独覇権に執着する米ネオコンこそ「現代世界の悪魔」と言えまいか。プーチン・ロシアを追い詰めた最大の懸念はウクライナで出現したネオコンの狂気の行き着く先だったと思える。

日本右翼を隷従させる

日本の極右民族主義者組織と言える日本会議の結成とその後の経緯はこの米ネオコンの動きと連動している。この問題は本ブログの主題と重なるので既に掲載した記事の参照を勧め、ここでは要点だけ記す。

繰り返すまでもなく、米ネオコンと米支配層にとって最大の敵は共産中国である。米保守本流は冷戦終結後1990年代の早い段階で中国台頭を予期しており、岸信介を源流とし、今は安倍晋三元首相が率いる清和会主導の自民党を与党とする日本政府を必要としていた。

時計の針を1950年代半ばに戻す。安倍の祖父で元戦犯容疑者の岸信介が政界に復帰した当時の米国の対日政策の主眼は岸に代表される右翼勢力を利用して一にも二にも日本を反共の防波堤にすることだった。だが同時に封じ込めなければならなかったのはこれを機に大きく復活する日本の極右民族主義勢力である。敗戦間もないころの日本の右翼は攻撃の矛先を皇国日本を解体した米国に向けていた。したがって「日本の国体と伝統」を破壊し尽くした占領政策の担い手・米国への復讐の念をどう抑え、取り込むかが喫緊の課題であった。

その解決策が岸を後継した池田勇人内閣の「寛容と忍耐」とのキャッチフレーズを掲げた「所得倍増計画」、すなわち高度経済成長政策である。政治の季節は経済の時代へと転換され、ひたすら高い成長率を目指し、やがて「豊かな高度消費社会」を到来させ、ついには「アメリカを追い越さんばかりの経済力を築いた」との達成感に日本人を酔わせ、敗戦の悲哀を完全に忘却させた。その過程で、反共右翼日本共産党離脱派の新左翼をも資金供与などで取り込み、それを巧みに操りながら反米ムードの親米への転換と日米安保体制への敵意の緩和に努めた。注

吉田茂を母方の祖父とする麻生太郎は2019年末財務省での大臣定例会見で「実は池田さんは熱烈な改憲論者だった。だがそれを抑えて新興宗教染みた『寛容と忍耐』をキャッチフレーズに経済成長路線を採用した」と明かした。「軽武装経済優先」の戦後保守本流・宏池会路線自体が米国の敷いたものだったとの示唆である。

ところが高度成長政策の奏功で経済的に大きな成功を収めた日本は、1980年代には米国の新たな敵として復活する。そこで日本を叩き潰しその経済成果を吸い取って衰退させるための罠が仕掛けられ、1991年のバブル経済崩壊とそれに続く失われた30年を招来させた。経済成長なき社会に重くのしかかる閉塞感が世論の復古主義的右傾化をもたらし、戦力の不保持を定めた現憲法の改正を促して自衛隊を正式に日本軍と認知、東京裁判を勝者の裁きとして拒絶、皇国史観を賛美する等々の新たな潮流を生んだ。

1997年に極右組織・日本会議が結成され、やがて安倍1次政権のイデオロギー装置を装うことになる。戦前回帰を明確ににおわす安倍1次政権(2006~2007)の登場は米英中・戦勝国サイドにとって衝撃であり、安倍・日本会議政権は米欧戦勝国グループから警戒され徹底したバッシングを受けて一年で崩壊した。この挫折を踏まえ、ワシントンは2007年に日本会議をコントロールし、日本人をもっぱら中国・朝鮮敵視へと向かわせることを目的とした日本会議の兄弟組織を日本に立ち上げる。彼らは中国、韓国、北朝鮮をヘイトしながら第2次安倍政権のウルトラ親米路線を支えた。

再登板に向けて安倍はネオコンとの関係を深める。特にハドソン研究所の上級副所長だったI・ルイス・リビーが重要な役割を担った。リビーはイェール大学でのポール・ウォルフォウィッツの教え子で、上のウォルフォウィッツ国防政策指針作成にも関わった生粋のネオコンだ。リビーの下にいたのが知日派の筆頭マイケル・グリーンや国防総省唯一のシンクタンク、国防大学国家戦略研究所幹部を経て対日司令塔である国際戦略問題研究所(CSIS)副所長となるパトリック・クローニンらであったとされている。

【写真】CSISで講演する安倍首相=当時=をはじめ夫人の安倍昭恵、麻生太郎、前原誠司、橋下徹、加藤勝信ら。対談の相手をしているのがマイケル・グリーン。日本の与野党のリーダーがネオコン人脈に組み込まれている。

 

 

 

 

再登板から間もない2013年2月に訪米した安倍は右翼ナショナリストを嫌悪するオバマ大統領に徹底して冷遇された。ホワイトハウスから足早に駆け込んだ先がジャパンハンドラーと称されたグリーンらの陣取る国際戦略問題研究所(CSIS)=写真=であった。安倍はナイ、アーミテージらジャパンハンドラーたちに見守れながらあいさつに立った。開口一番、「I`m back (戻ってきました)」と発したのである。この一言はネオコンに飼いならされた「新生安倍晋三」を象徴し、以降ことあるごとに「100%米国とともにある」との隷従宣言を臆面もなく連発することになる。

世界に類をみない皇統をいただく神国であると日本を賛美し、自らがアジア人でありながらアジア近隣国を蔑視する日本の右翼勢力の頂点にある安倍・日本会議グループの心情はネオナチと重なっている。これをハンドルする米国のネオコンや保守支配層はウクライナ危機を利用して日本人に「中国+ロシア」を嫌悪と攻撃の対象とさせることに奏功しつつある。

 

2020年11月17日掲載記事「岸信介から安倍晋三への道 親米右派の系譜4」

2021年2月11日掲載記事「保守『主流』逆転と米国の圧力 反共強国と清和会支配1」

2021年9月17日掲載記事「高市早苗は安倍晋三の分身:米支配層の望む新首相」

同21日掲載記事「自民総裁選はCIA対日工作の檜舞台 高市売り出しへ」

2021年11月29日掲載記事「日米安保破棄と対米自立を再び争点に(その1) 近代日本第三期考2」

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