議会選挙を通じて平和的に社会主義革命を実現すると路線転換した日本共産党と袂を分かった日本の新左翼は暴力革命に執着する。彼らの唱える革命的暴力は米ネオコンの民主化のための軍事介入と瓜二つ。両者ともに革命、民主化のためと称して暴力・武力行使を不可避とするからである。少数精鋭のエリート職業革命家で組織する前衛党がプロレタリア大衆の革命を指導するという思想は、単独覇権国となった米国の政治エリートが独裁専制国家を民主化・体制転換しようとする大衆を指導するとの考えと同一だ。両者の根っこにはスターリンのソ連から追放されたレフ・トロツキーの世界革命思想がある。日本の新左翼の革命的暴力論は1970年代の連合赤軍山岳アジト事件を機に破綻したが、米ネオコンの民主化介入論は米国の軍事政策として21世紀初頭のイラク戦争を機に超法規的に正当化された。今ウクライナでネオコンの「力は正義」がロシア軍の「暴虐行為」を誘引し、事態の本質を覆い隠している。
■ケーガンの「万人に対する万人の戦い」
ネオコンの「力の論理」を余すところなく示したのが2003年のイラク戦争開戦に併せて出版された米ネオコンを代表する論客ロバート・ケーガンの著作「OF PARADISE AND POWER America and Europe in the New World Order (楽園とパワーについて 新世界秩序:アメリカとヨーロッパ)」だ。イラク戦争に強く反対したドイツ、フランスを念頭に置き、ケーガンは「ヨーロッパは『ポストモダンの楽園』に向かっているが、アメリカは力を行使する」と宣言。序文で次のように記した。
「ヨーロッパは軍事力への関心を失い、力の世界を超えて、法と規範、国際交渉と国際協力という独自の世界へと移行している。歴史の終わりの後に訪れる平和と繁栄の楽園、一八世紀の哲学者、イマヌエル・カントが『永遠平和のために』で描いた理想の実現に向かっている。これに対してアメリカは、歴史が終わらない世界で苦闘しており、一七世紀の哲学者、トマス・ホッブズが『リバイアサン』で論じた万人に対する万人の戦いの世界、国際法や国際規則があてにならず、安全を保障し、自由な秩序を守り拡大するにはいまだに軍事力の維持と行使が不可欠な世界で、力を行使している。」
上のケーガンの言葉を若干デフォルメすれば、「東西冷戦の終結を『永遠平和の始まり』と考えるのは妄想。世界はいまだ力と力がぶつかり合う絶え間ない戦いの只中にある。それ故、唯一の覇権国となった超大国アメリカは既存の国際ルールに拘束されず、覇権の維持安定を妨げる『ならず者国家』『圧政国家』を体制転換するため軍事力を行使する」となる。要するに、第二次大戦の戦勝国が組織した国連の唱える集団的安全保障体制は機能しておらず、米国が定めたルールに基づく新たな世界秩序を構築するため力を行使して行くと明言したのだ。
2001年米同時多発テロ(9・11)を受け、ブッシュ米大統領が述べた一連のテロ対策をベースにした国家安全保障を巡る新戦略思想は翌02年9月に公表された「米国の国家安全保障戦略(The National Security Strategy of the United States of America)」に集大成され「ブッシュドクトリン」と通称される。一方、 ネオコン型思考を集大成した観のあるケーガンの思想は対テロ戦争のみならず、実は「非ユーラシア国家・米国がユーラシアを管理する」とするユーラシア制覇に向けた戦いに重点を置いていた。注
注:2022年3月3日掲載記事「プーチン追い詰めたブレジンスキー構想 ウクライナ危機と米のユーラシア覇権」を参照
■ウクライナ:旧ソ連圏支配の要諦
ネオコンの意思は現在進行中のウクライナ危機に貫徹されている。現下のウクライナの情勢をロシア軍によるウクライナへの軍事侵攻だけで語っては視野狭窄となる。大きくは19世紀以来明示されてきた米国の文明の西漸説に着目しなければならない。これに基づき北米大陸から太平洋に出てユーラシア大陸を制覇し文明を地球全体に伝播するという米国独自の啓蒙思想は当然にも米国資本の世界支配の野望と結びついていた。
中東では2003年のイラクを嚆矢にリビア、イエメン、シリアなどでロシアと親しい反米国家や社会主義に近寄る政権を転覆する軍事力の行使があった。チュニジア、リビア、エジプト、シリアのそれは「アラブの春」と粉飾された。これは米国主導でイスラエルを核とした中東の勢力図の抜本的再編を図るとともに、独自共通通貨を持とうとしたアフリカ連合(AU)の台頭を阻止するものだった。
東西冷戦終結とソ連邦崩壊はユーラシア制覇の要諦となる東欧・スラブ圏、中央アジア地域を含む旧ソ連圏の支配に向けた千載一隅のチャンスとなった。
矛先は東欧や中央アジアに向けられた。カラー革命と呼ばれる政権交代・民主化ドミノが2000年セルビア、2003年グルジア、2004年ウクライナ、2005年キルギスで相次いだ。いずれも選挙結果を問題視した群衆が街頭で抗議行動を行い反体制派勢力を形成。独裁者と糾弾された政府指導者を追放し体制転換を果たした。“民主化ドミノ”とは政治体制の親米化に他ならなかった。体制転換運動を支えたのは米国務省、米議会が出資する全米民主主義基金(NED)、米中央情報局(CIA)、ジョージ・ソロスの主宰する「ソロス財団」であった。
ウクライナ危機の端緒はカラー革命の一つに数えられる2004年ウクライナ・オレンジ革命だ。この「革命」でいったん追放された親露派のヤヌコビッチ政権が復活すると2014年にマイダン革命と呼ばれたクーデターが起きてヤヌコビッチ大統領は再び追放された。二度とロシアの影響下には入らないと主張するウクライナの過激派ナショナリストを背後で操ってきたのが米ネオコンである。
当時のヌーランド米国務次官補やジェフ・パイアット駐ウクライナ米国大使がその運動を直接指図していたことが暴露されている。ヌーランドをホワイトハウスから采配したのが当時の副大統領のバイデン現大統領であり、ヌーランドの夫がネオコン随一の論客ロバート・ケーガンである。塩原俊彦高知大准教授は「ウクライナ危機はオバマ大統領が仕掛けた『ウクライナ・ゲート事件』」と断言する。
■トロッキストが転向してネオコンに
繰り返しになるが、1991年12月にソ連が消滅した翌1992年2月にブッシュドクトリンの基となるペンタゴン秘密文書が作成された。それはポスト東西冷戦期の米国家安全保障戦略書の一環としての国防政策指針だった。その文書作成のために当時の国防次官ポール・ウォルフォウィッツをはじめネオコンが結集した。米国は西ヨーロッパ、アジア、または旧ソ連圏においてライバルになる超大国が出現しないよう備えるとともに、最終目標として米国によるユーラシアでの覇権掌握が示唆されている。注
注:2022年3月21日掲載記事「ウクライナ・ネオナチや日本会議操る米ネオコン 覇権維持に手段選ばず」を参照
指針の核心は、「世界の秩序は米国によって維持されなければならず、米国は単独でも行動する」との言葉にある。つまり、「冷戦後の世界ではアメリカのライバルとなる超大国の台頭は許さない」との宣言であった。
20世紀前半、ニューヨークを拠点に社会学者ダニエル・ベル、政治学者シーモア・リプセット、リチャード・ホフスタッター、政治学者マーティン・ダイアモンド、文芸批評家アーヴィング・ハウら左翼知識人が集った。これが発火点となり東欧・ロシアなどからの移民を中心にレフ・トロツキーの世界革命・永続革命論を巡って論争が繰り広げられ、アメリカにおける左翼陣営の母体を形成した。彼らの台頭に恐怖したのがウオール街の金融資本とそれと連携するCIAであり、第二次世界大戦後の赤狩り旋風(マッカーシズム)となる。共産主義をタブーとしたアメリカ社会で彼らは保守主義へと転向し、その一部が新保守主義者(ネオコン)となった。
マイケル・リンドによると、米国の新左翼トロッキストと新保守主義のネオコンに通底する「民主主義の輸出」というコンセプトは彼らが青年期に信奉したトロツキズムの「革命の輸出」の焼き直しであるとされる。上記の全米民主主義基金(NED)がレーガン政権下の1983年に「他国の民主化を支援する」名目で創立された際、その幹部に左翼からの転向者がいたことが話題となったという。
■冷戦の勝利が育んだ狂気
2022年2月24日にロシア軍がウクライナに軍事侵攻すると、「プーチンは帝国主義蔓延る19世紀の『力は正義』を復活させた」といった非難が目立った。確かに、侵攻は暴挙でありいかなる非難も甘受せざるを得ないものだ。しかしながら、反スターリン主義左翼から転向したネオコンは革命的暴力を民主化軍事介入にすり替えた。それは米軍という人類史上例を見ない巨大な暴力装置を後ろ盾とした「民主主義の輸出」であり、最悪の「力は正義」の実行となる。
ネオコンの「力は正義」は、ケーガンの言葉を引用すれば、「万人に対する万人の戦いの世界」で適用される。それは西欧における市民社会形成とブルジュア革命の萌芽期に生きたトマス・ホッブズが『リバイアサン』に先行してラテン語で書かれた1642年の著作『市民論』で用いられた表現だ。ケーガンが出典源としたリバイアサンは1651年の著作である。
ウキペディアによると、原文は「Ostendo primo conditionem hominum extra societatem civilem (quam conditionem appellare liceat statum naturae) aliam non esse quam bellum omnium contra omnes; atque in eo bello jus esse omnibus in omnia.」であり、日本語訳は「私がまず最初に示したことは、市民社会無き人間の状態(それは自然状態と呼ばれるべきかもしれないが)は「万人の万人に対する闘争」でしかなく、その闘争においては、万人が全てについての権利を有するということである。」
ケーガンの主張をそのまま受け取れば、人類は「17世紀以前の市民社会無き時代」に戻ることになる。ネオコンによれば、近代市民社会の原理である「自由と人権、民主主義と法の支配」の未確立な自然状態という力による支配の世界が復活したことになる。この思想は暴論を超え、狂気の沙汰と言える。冷戦の勝利に酔い驕り高ぶった米国の支配層に手の付けられない巨大な幻獣(リバイアサン)が現れたのである。
皮肉にも、ネオコンに牛耳られた米国率いる北大西洋条約機構(NATO)加盟の欧州諸国は「自由と人権、民主主義と法の支配」という価値観の共有を唱え、日本を巻き込み、中国とロシアに対する新冷戦を「自由主義と専制主義の戦い」と位置付けている。日米安保体制は占領国アメリカが敗戦国日本に取り付けた軛である。この軛からの解放を真摯に模索する自由すら奪われた日本はひたすら「仮面の自由主義」に迎合している。