「必然だった」帝国日本の滅び

漱石の「日本は滅ぶ」との予言の意味をより深く掘り下げてみる。

■漱石思想:天皇大権の精神的基盤への批判

夏目漱石は、日本近代の核心を最も早く、最も鋭く、そして最も「危険なかたち」で見抜いた思想家である。 その危険性は、彼が英国で体験した「民の厚み」と、明治国家が依拠した「国体の精神構造」との衝突に由来する。

漱石が1900年代初頭の社会主義運動のメッカであった英国で目撃したのは、蒸気機関でも帝国の威容でも王室の華やかさでもなかった。 それは、民衆が国家を支えるという近代の本質だった。 議会、自治、討議、公共圏、労働運動――市民が自らの意思で国家を動かすという、近代国家の精神的基盤である。

漱石はこれを「文明の厚み」として理解した。 そして帰国後、日本列島を覆う日露戦争勝利の熱狂を見て、その底にある「空虚」を直感した。 日本には、英国で見たような民の厚みがない。 議論が空気をつくるのではなく、空気が議論を押しつぶしていた。

議会制度は形だけで、自治はなく、個人は自立せず、公共圏は権力を監視しない。

漱石は、この精神構造を文学の形で批判した。 『三四郎』で髭の男に言わせた 「日本は滅びるよ」 という一言は、単なる皮肉ではない。 近代国家の条件を満たさない日本の精神構造―― 権威への盲目的服従、自立性の欠如、公共圏の不在 を見抜いた文明的診断である。

そして三四郎が返す 「九州・熊本では国賊扱いされる」 という言葉は、異論を排除する共同体の空気を鋭く突いている。 これは、天皇大権への絶対服従を支える精神構造そのものへの批判である。

明治国家は、天皇を統治権の源泉とする「国体」を中心に成立した。 その精神的基盤は、「権威への盲従、家父長的秩序、村落共同体の同調圧力、個人より家、家より国家を優先する倫理 」で構成されていた。

漱石が英国で見た「民の厚み」は、この国体の精神構造と根本的に衝突する。 英国では、個人が自立し、権威を批判し、公共圏で討議し、国家を監視する。 日本では、個人は家の一部として扱われ、権威に従い、空気を読み、国家を疑わない。

漱石は、この衝突を文学と講演の形で日本に持ち帰った。 講演『現代日本の開化』では、 日本の開化は外発的であり、精神的基盤が弱い と明言した。 講演『私の個人主義』では、 他人本位ではなく自己本位で生きよ と語り、個人の自立を近代の条件として提示した

これらの講演は、明治国家の精神構造を揺さぶる危険な内容を含んでいた。 もし漱石が1930年代まで生きていたら、 その思想は河上肇、戸坂潤や三木清と同様に「自由主義的危険思想」として摘発されていた可能性が高い。

しかし漱石は、1916年に逝去した。 治安維持法は1925年、思想弾圧の本格化は1930年代だった。

漱石は、時代がその危険性を認識し、摘み取る前にこの世を去った。 そのため、漱石の批判は「すれすれ」でありながら、摘発されることはなかった。

漱石は、天皇大権への絶対服従を支える精神構造そのものを批判した。 しかしそれを文学の形で行い、思想を運動化せず、表向き国体そのものを否定しなかったため、治安維持法体制の標的から外れた。 漱石は、日本近代の危険性を最初に見抜いたが、時代がその危険性を摘み取る前に静かに逝ったのである。

漱石の英国体験は、日本近代の精神構造と真正面から衝突した。 その衝突の火花が、文学の形で残された。 それが『三四郎』の「滅びるよ」であり、 『私の個人主義』の「自己本位」であり、 『現代日本の開化』の「上滑りの開化」である。

漱石は、日本近代の矛盾を最初に見抜き、 そしてその批判は、天皇大権の精神的基盤への批判として光っている。

■和魂洋才という致命的矛盾と滅びの萌芽

漱石が英国で見た「民の厚み」は、明治国家の精神構造と根本的に衝突した。 その衝突の背景には、明治体制のイデオロギーそのものが抱える 致命的矛盾 がある。 それが 和魂洋才 である。

和魂洋才は、近代化の理念ではなく、「日本の近代化は不可能である」を示すスローガンだった。 洋才とは、産業革命・技術革新だけではない。 市民革命、議会主権、自治、公共圏、労働運動――近代市民社会そのものを指す。 それは、儒教的身分秩序、武士道的忠誠倫理、家父長制度、村落共同体、天皇中心の統合原理といった“和魂”とは決して融合しない。

そもそも後で詳述するように明治維新は「攘夷のための開国(軍事大国化して米英を打倒する)」であり、 西欧近代の政治思想――市民革命・議会主権・個人の自立――を排除することが本音だった。 近代化は偽装であり、 国家の目的は「西欧に対抗する帝国の建設」であり、米英との戦争は不可避であった。

そのため、明治国家は 近代の精神ではなく、近代の道具=日本型帝国統治の術だけを輸入した。

鉄道、軍艦、官僚制、憲法、議会―― これらは近代の外形であり、 その内側にあるべき 民の厚み=市民社会の成熟 は徹底して排除された。

この構造的欠陥は、 漱石が英国で見た近代の精神と、 日本の国体の精神構造との間に深い断絶を生んだ。

漱石は、この断絶を文学の形で告発した。 『三四郎』の「日本は滅びるよ」は、 和魂洋才という明治体制のイデオロギーが、 近代国家の条件を満たさない致命的矛盾であることを見抜いた言葉である。

漱石は、明治国家の精神構造が 滅びの萌芽 を内包していることを理解していた。

日本は、市民革命を経験せず、天皇大権を精神的基盤とし、権威への盲従を美徳とし、自立性を欠き、公共圏を持たず、空気が議論を支配し、異論を国賊とみなすという構造のまま「近代国家」を名乗った。

この矛盾は、 1945年の敗戦=崩壊を必然にした。

漱石は、英国で近代の精神を見てしまったがゆえに、 日本の近代が「偽装」であることを最初に理解した。

漱石は1916年に逝去し、 思想が運動化する前に時代が変わったため、 治安維持法体制の摘発を受けることはなかった。

漱石は、日本近代の矛盾を最初に見抜いた。 そしてその矛盾は、 和魂洋才という致命的矛盾として、 近代日本のエートスとなることなく、 滅びの萌芽として日本の歴史に埋め込まれた。

1945年の崩壊は、漱石が英国で見た「民の厚み」と、 日本が拒絶した「近代の精神」との断絶が、 ついにその軋轢に耐えられなくなった結果である。

漱石の文明批判は、 明治体制の偽装近代化が生んだ必然的な破局を、 半世紀早く予言していたのである。

1912年に学習院でこう述べている。いわゆる「私の個人主義」講演である。

「イギリスという国は大変自由を尊ぶ国だ。それほど自由を愛する国でありながら、またイギリスほど秩序の整った国はない。・・・あれほど自由で、そうしてあれほど秩序の行き届いた国は恐らく世界中にないだろう。日本など到底比較にならない。しかし彼らはただ自由なのではない。自分の自由を愛するとともに他の自由を尊敬するように、子供の時分から社会教育を受けている。だから彼らの背後にはきっと義務という観念が伴っている。England expects every man to do his duty といった有名なネルソンの言葉はけっして当座限りの意味のものではない。彼らの自由と表裏して発達して来た深い根底を持った思想に違いない。・・・彼らは不平があるとよく示威運動(デモ)をやります。しかし政府はけっして干渉がましいことはしない。黙って放っておくのです。その代り示威運動をやる方でもちゃんと心得ていて、むやみに政府の迷惑になるような乱暴は働かない。」