必然だった戦後日本の崩壊――企業ファシズムと対米従属の二重翼賛体制

戦後日本の崩壊は、偶然ではない。 それは、1945年の帝国日本の滅びの延長線上にある「第二の崩壊」であり、 明治以来150年にわたり日本社会を支配してきた精神構造と、 米英アングロサクソンの対日戦略が交錯した結果として必然的に生じた。

日本は敗戦によって軍事的に崩壊したが、 精神構造は崩壊しなかった。 市民革命はなく、抵抗権・革命権は根付かず、 国体の精神構造――忠誠、同調、家制度、上意下達――は社会に温存された。 民主主義は制度として導入されたが、 その内側を支える「民の厚み」は形成されなかった。 戦後日本は、敗戦の延長として始まったのである。

この精神構造の上に、戦後日本は新たな翼賛体制を築いた。

それが 企業ファシズム である。 戦前の軍事ファシズムの精神構造は、企業という器にそのまま移植された。6大企業集団を頂点とする企業系列は家父長制そのものだった。親企業に5次、6次の下請け企業が主従関係で連なり、「乾いたぞうきんを絞る」ように親企業の競争力強化のため翼賛、尽力した。

そして 終身雇用、年功序列、企業内組合、稟議制、滅私奉公、上意下達―― を基盤に内外でし烈な企業間競争が展開された。これは戦時総力体制の精神構造の戦後版であり、 「お国のために」が「会社のために」に変わっただけだった。

これは1940年体制とも呼ばれる。従業員は24時間戦う「企業戦士」となった。

「死ぬまで働け」という電通の鬼十訓に象徴されるように、 戦前の戦陣訓は企業文化として再生し、 過労死、過労自殺、ブラック企業の蔓延という形で戦後社会を覆った。 企業は家族となり、社長は家父長となり、 社員は「家のために」己を殺して働くことを美徳とされた。 戦後日本は、自由貿易体制に乗り、企業ファシズムという新たな翼賛体制の下で繁栄したのである。

しかし戦後日本の翼賛体制は、企業だけではなかった。 もう一つの柱が 対米従属 である。 日米安保は「日本封じ込めの瓶の蓋」であり、安保条約締結時の米国務長官ジョン・F・ ダレスの「日本人を信頼できない」という言葉に象徴されるように、 日本は半主権国家として固定された。 国連憲章の敵国条項が今日まで削除されない事実は、 米英アングロサクソンの対日不信が構造的に継続していることを示す。

戦後日本は、 企業ファシズム × 対米従属 という二重翼賛体制の中で繁栄した。 高度成長はこの二重構造の産物であり、 日本株式会社は世界を席巻した。 しかしその繁栄は、同時に崩壊の萌芽を内包していた。

米国は1980〜2000年代にかけて、 日本型経営システムと反米勢力を同時に解体、放逐した。 プラザ合意、金融自由化、年次改革要望書、非正規化、ハゲタカ資本の進出―― これらは米国の対日経済安保政策の一環であり、 「今度こそ日本を挑戦者にさせない」という固い決意の表れである。 米英アングロサクソンは、明治以来一貫して日本の台頭を警戒してきた。 戦後日本の経済力がソ連の軍事力に代わる脅威と見なされた1980年代、 米国は最終的な日本封じを本格化させた。

その結果、企業ファシズムの基盤は崩れ始めた。 非正規化の拡大、労働基本権の衰退、ブラック企業の蔓延、 表現の自由の抑制、怒りの抑制、静かな翼賛、集団的うつ病―― 戦後日本の社会基盤は静かに崩壊していった。

戦後日本の滅びは、1945年のような爆撃による一挙の崩壊ではない。 それは、長期衰退という形を取る滅びである。 企業ファシズムの崩壊と対米従属の固定化が、 日本社会の内側からゆっくりと基盤を蝕んでいった。 戦後日本は、帝国日本とは異なる形で滅びつつある。

この滅びは必然である。 明治体制の偽装近代化が生んだ国体の精神構造は、 戦前の軍事ファシズムを生み、 戦後の企業ファシズムを生み、 そして現代の軍事再編へとつながっている。 米英アングロサクソンの対日戦略は、 この構造的欠陥をさらに固定化した。

戦前の滅びと戦後の滅びは、 日本近代化が抱えた同じ構造的欠陥の二つの発現である。 戦後日本の崩壊は、帝国日本の滅びの延長線上にある「第二の崩壊」であり、 日本近代化の根本的失敗を示す歴史的証拠である。