「絶望しかない朝日新聞」、「稼ぐしかない国立大学」 剝げ落ちた戦後民主主義のメッキ

戦後ドイツではナチスを礼賛した新聞はすべて廃刊となった。これに対し、日本の新聞は大日本帝国の天皇制ファシズムが完膚なきまでに破砕された戦後も名前も変えず存続した。敗戦から75年経た2020年8月15日の朝日新聞社説は「戦中は軍部が情報を操作し、朝日新聞を含むメディアは真実を伝えず、国民は多くを知らないまま一色に染まった。個人を尊重する戦後民主主義の理念は、あの戦争から学んだ社会の安全装置なのである。」と書いた。ところが「朝日のプーチン演説批判記事に聴く日本新聞産業の挽歌 | Press Activity 1995~ Yasuo Kaji(加治康男) (yasuoy.com)」で批判したように、今や日本の既成メディア、とりわけ朝日新聞は日本政府とこれが追随する米国主導のNATOやG7のプロパガンダ機関と化し、真実から目を背けている。部数激減で経営難に陥ると本性がむき出しになり、記者の社外活動を締め付ける検閲体制を構築して、戦後民主主義擁護のメッキを自ら剥ぎ落している。依願退社した記者は「絶望しかない」と語ったという。戦後、日本の大半の新聞が廃刊しなかったのは「組織の存続が絶対優先。そのためには時代状況に応じてカメレオンのように言説を変える」”処世術”のなせる業である。

一方、独立行政法人化されて20年経た国立大学は法改正でさらに”稼げる大学”への変容を促され、GHQが実施した教育民主化政策の一環である「一県一国立大」制度は大学選別による淘汰政策で崩壊寸前だ。旧帝国大をはじめほんの一握りの競争力のある大学を新自由主義に乗せ、”稼ぐしかない”と市場重視路線へと強要している。2014年には「日本の大学の国際競争力の向上を進め、グローバルな舞台で活躍できる人材の育成を目的」に私学を含む全国38校をトップ型、牽引型に分けてスーパーグローバル大学に指定した。続いて、2020年には特別に支援する国立大として「指定国立大学法人」10校を選別、そして締めとなったのが国の10兆円規模の「大学ファンド」から年数百億円規模の支援を受ける国際卓越研究大学の指定である。これによって過疎化が進む地方の戦後新制国立大は文科省が法人化に伴い進める予算削減で存立基盤を失った。地域有力大学と提携し傘下に収まるか、遅からず県の枠を超えての地方大同士で合併するか、それができなければ廃校あるいは地元県立大となどの併合に追いこまれよう。

朝日新聞と新制国立大学を取り上げたのは、いずれも敗戦に伴う民主化の象徴とされていたからだ。新聞は私企業であり、米軍の占領下でそれにもっとも袖丈が合う衣に着替えることが組織存続のために必要だった。安保闘争、沖縄返還、ベトナム戦争を巡る報道も時代の流れ、ムードが先鋭な体制批判を必要としたのでそれに乗ったにすぎないのではないか。個々の優れた記者は真正面から時代の課題に真摯に取り組んだにせよ、会社組織としては戦前体質に近い権威主義の鎧をまとったままであった。かつて授業料はタダ同然で貧困家庭からも進学できた国立大学群で進む淘汰は戦前への回帰といえる。国が必要としている”エリート大学”のみを存続させ、しかも民主化と同義の大学自治は左翼の巣となり不要として、国家権力に従順で「有能な大学」のみを手厚いファンドで優遇するからだ。グローバル大学の掛け声の裏には戦前体質の権威主義が蠢く。まるで帝国大学の復活である。上記朝日社説にある「個人を尊重する戦後民主主義の理念」などもはやどこにも見当たらない。遺憾ながら、戦後民主主義は安っぽいメッキだった。

元朝日新聞記者の佐藤章さんは主宰するユーチューブで驚くべき朝日新聞の社内事情を暴露している。朝日を辞め沖縄の地方紙に転職したある有能な40歳代記者を紹介。「自由な気風に育まれた独立心に憧れて入社した人も少なくない」としたこの記者は「社外活動規制・社外出版についてルールを定め編集局長室で事前検閲を行い、朝日批判をする記者が目立つとの理由から講演内容も検閲。講演料も会社に収めさせる」朝日の現状には「絶望しかない」とした。佐藤さんは「こうなることは予想されていた。上を見るばかりのヒラメのような人間ばかりが出世する」「そういう人間は少し出世すると下を見まわして、ヒラメ人間ばかりをとりたてるようになる。こんどは自分がチヤホヤされたくなるから会社の中心部にヒラメばかりが集まる。それが今の朝日新聞」と切り捨てた。そして沖縄に去った後輩記者が残した「社内の権力者の顔色を窺い、自由を手放す集団はなにより市民が自由を奪われてゆくことへの感度が鈍り、決して社会の自由な気風を守ってゆく砦になることはできない」との深みのある諫めの言葉を紹介した。

戦後の一時期、大学は自由、自治の砦であることを強く主張した。今や憲法が保障している学問の自由は忘れ去られた感がある。教育研究費がこの20年で3分の1となる大学が続出。予算が削減されるばかりの国立大学の経営は文科省に管理され、理事会は天下り官僚の巣と化した。若手研究者は期限付き雇用が多く、雇用が不安定なうえ研究内容も長期的な視点で行えない。もはや教授会の自治も学生の自治への参加も死語と化している。国際卓越研究大学に指名されれば、契約期限の延長が必要なため大学経営者は常に権力者(自民党文教族、内閣官房、文部科学省)の顔色を窺い、自由を手放すことだろう。日本社会に自由な気風が残っていれば一体だれがそれを守るのか。否、そもそも守るに足る自由や民主主義はあったのか。戦前の新聞も大学もいったん解散すべきであった。戦後の内実を謙虚に振り返るべきである。

 

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