注:書籍化予定の「会津藩士と探る日本近現代の160年――奇跡と滅びのタイムスリップ紀行」の冒頭文(序)の続きです。前編は第2章ではなく、第3章を公開します。あと後編も1章だけ公開予定です。続きは書籍にてお読みください。
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■安土城天守閣――信長が秀吉に語った「明討伐」の夢
住職はゆっくり語り始めた。
「耿之介殿…… まずは安土城の天守閣の話から始めましょう。」
「織田信長殿の城でござるな。」と耿之介。
「ええ。」「 天守閣最上層には群青色の外壁が夕陽を受けて輝いている。 そこで、信長は琵琶湖を見下ろしながら、 秀吉にこう語ったと想像してみてください。」
住職は目を閉じ、言葉を紡いだ。
「秀吉よ。 この国をまとめた後は、唐(中国)へ渡る。」
耿之介は息を呑んだ。
「唐へ……でござるか。」
「信長は群青色の壁に手を触れながら言ったのです。 『この色は明国の空の色じゃ。安土城は天下の城にあらず。 世界へ向かう城なり』と。」
耿之介は深く頷いた。
「住職殿…… 信長殿は天下統一を“終わり”ではなく、 “始まり”と見ていたのだな。」
住職は静かに続けた。
■フロイス『日本史』――信長は“世界帝国の君主”と比較された
「耿之介殿…… この想像の場面は、史料の芯と矛盾しません。」
耿之介は首を傾げた。
「史料……?」
「信長の側近であったルイス・フロイスです。 日本に派遣された世界帝国スペインの宣教師であり、 日本では当時の世界情勢を知る数少ない人物でした。」
住職は声を落とした。
「フロイスは『日本史』で、信長をこう記しています。
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『日本の王侯の中で最も大望を抱く人物』
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『世界の君主と比較しても遜色ない』
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『世界の事物に強い関心を持っていた』
耿之介殿…… これは驚くべき記述です。」
耿之介は息を呑んだ。
「住職殿…… 信長殿は、スペイン帝国の王侯と同じ“スケール”で見られていたのか。」
「その通りです。 フロイスは信長を、スペイン帝国の最盛期を築いた国王フェリペ2世と比較して記述しています。 つまり、信長は“世界帝国スペインの潜在的ライバル”として見られていた。」
耿之介は深く頷いた。
「ならば住職殿…… 信長殿の明征服構想は、スペイン帝国の世界支配をモデルとしたのでござるな。」
「まさにその通りです。」
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■秀吉――信長の世界支配構想を継承し、朝鮮征服へ向かった
住職は語り続けた。
「信長亡き後、秀吉は天下統一を果たすと、 すぐに朝鮮に『明への道案内』を要求しました。」
耿之介は眉をひそめた。
「道案内……?」
「ええ。 拒否されると、秀吉は文禄・慶長の役を起こし、 漢城・平壌を制圧しました。 秀吉の構想は信長の継承であり、 その先には明征服がありました。」
耿之介は言った。
「ならば住職殿…… 秀吉殿は信長殿の世界制覇構想を実行しようとしたのだな。」
「その通りです。」
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■海中に孤立した日本、「朝鮮征服の悲願」が再燃
住職は少し声を落とした。
「耿之介殿…… 日本国の歴代権力者の深層心理には、 先に触れた白村江の戦いで唐・新羅連合軍に敗れた記憶が刻まれていました。」
耿之介は頷いた。
「白村江……天智2年8月(663年10月)に朝鮮半島の白村江(現在の錦江河口付近)で行われた百済復興を目指す日本・百済遺民の連合軍と唐・新羅連合軍との間の大戦(おおいくさ)じゃな。唐との戦に惨敗し、アジア大陸から締め出され海中に孤立した。」
「この孤立が一種の中華思想を生んだ。ここがポイント。東アジア史の専門家はこう言っています。」と住職。
「倭人は結集して日本列島最初の統一王国・日本国を作り、中国に対抗して独自のアイデンティティを主張するため国史『日本書紀』を編纂し、七二〇年に完成させた。」「『日本書紀』で表現された日本は、中国とは対立する、まったく独自の正統を天から受け継いだ国家であるとの思想に基づいている。このため、中国と日本とを両立できなくしてしまった。これが永く日本の性格を規定してしまったのです。」
- 「白村江の敗北、秀吉軍の撤退、そして明治以降の朝鮮併合・中国侵略。 この三つは一本の線としてつながっていたのです。」
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「日本古代政治史家、倉本一宏は『近代日本のアジア侵略の淵源は古代の倭国や日本にある』と明快に説いています。(「戦争の日本古代史」好太王碑、白村江から刀伊の入寇まで)
「前近代の日本および倭国は、外国勢力の侵攻を撃退したものを除くと、対外戦争の経験は極めて少なかった。国外で実際に戦争を行った例は、五世紀の高句麗との戦い、七世紀の白村江の戦、十六世紀の豊臣秀吉の朝鮮侵攻の3回しかない。
中国と戦争をしたのは白村江の戦と秀吉の朝鮮侵攻だけである。ただし、戦場は朝鮮半島で、中国に攻め入った事例はない。近代の朝鮮問題を巡って戦われた日清戦争や日露戦争も朝鮮半島を主な戦場の一つとした。
対外戦争をほとんどしてこなかった日本は、何故に近代に突然、朝鮮を手始めにアジアへの侵略を始めたのか。直接的には「明治維新」後の藩閥政府の東アジアでの覇権を求めようとした征韓志向を嚆矢とする近代帝国主義に解明の道がある。しかし、その淵源は、古代の倭国や日本にあり、中華大帝国に対抗しようとする小帝国志向が長い歴史を通じて醸成され、蓄積された。それを通じて対中国観と対朝鮮観、そして敵国視が幾度にもわたって再生産され、近代日本人のDNAに植え付けられてしまった。」
耿之介は目を閉じた。「非常に明快な歴史理論でござる。」 -
「ならば住職殿…… 1910年の朝鮮併合は秀吉殿の未完の夢が成就したことになる。これをバネに中国に侵攻するぞという決意と昂揚が起こるわけでござるな。」
「その通りです。」
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■徳川政権――外征思想を“封じ込めた”政権
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「家康をはじめとする東国諸大名は前半戦の文禄の役において、秀吉に朝鮮出兵の参加を求められた。あくまで家臣である立場の家康は出兵を拒めなかった。日本における朝鮮出兵の拠点である玄界灘に面した名護屋城に腰を据えていたが、家康らが同行する豊臣秀吉本人による渡海が中止となった。当然、家康らの渡海も中止になった経緯があるのです。」
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住職は続けた。
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「しかし耿之介殿…… 徳川政権はこの外征路線を完全に放棄しました。」
耿之介は深く頷いた。
「身の程をわきまえたということか。」
「ええ。 鎖国は、信長・秀吉の帝国主義を封じ込め、 国内の安定を優先した政策でした。」「あなたのおっしゃる会津のような封建制の枠内ながら民の生活を優先する藩も生まれた。」
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■封じ込められた外征エネルギー、「幕府否定」へと反転
「しかし、外征のエネルギーは消えませんでした。 行き場を失ったそのエネルギーは200年の歳月を経て徳川幕藩体制の否定へと反転したのです。」
耿之介は息を呑んだ。
「尊王攘夷…… 勤王思想…… 混同秘策……」
「そうです。 佐藤深淵の1823年の著作『混同秘策』は日本至上主義と世界征服構想を露骨に示し、倒幕を目指す志士たちばかりか、日中戦争期の陸軍幹部の愛読書となりました。」
- 「政権を担う前から薩長は朝鮮、中国の制圧を考えていたはず。1873年に西郷隆盛を下野させると大久保利通率いる明治政府は1875年には日本と朝鮮の間で発生した武力衝突である江華島事件起こした。前年の1874年には台湾原住民による琉球漂流民殺害事件を理由に行った初の海外派兵である台湾征伐を行っています。」
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■英国公使パークス――倒幕勢力の選別と育成
住職は声を落とした。
「耿之介殿…… ここで英国が登場します。」
耿之介は目を細めた。
「英国が倒幕に関わったのか。」
「ええ。 英国公使パークスは薩摩だけでなく、長州・萩を訪問しました。 これは倒幕勢力の選別と育成でした。」
耿之介は息を呑んだ。
「長州・毛利藩は豊臣恩顧の大名として、 260年間倒幕を胸に秘めてきた…… それが英国の支援で実現したのでござるか。」
「その通りです。」
- 「倒幕後、1871年(明治四年)に派遣された岩倉使節団。46名の使節は薩長中心。先に触れたように、木戸孝允ら長州勢は 英国で 領土拡大・植民地支配・外政優先の統治術を学びました。民の厚みではなく、国家モデルを学んだのです。」
- ■山縣有朋――外征国家を制度として完成
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住職は少し間を置き、静かに語り始めた。
「そして耿之介殿…… この外征思想を“制度として”完成させたのが山縣有朋です。」
耿之介は目を閉じた。
「徴兵制…… 軍制…… 統帥権…… 『満蒙は生命線』…… すべてが信長殿の外征思想の制度化でござるな。」
住職はゆっくり頷いた。
「耿之介殿。 山縣は、単なる軍人ではありませんでした。 彼は“国家の骨格”そのものを軍事化した人物です。」
耿之介は眉をひそめた。
「国家の骨格……?」
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「ええ。 山縣は、明治国家の制度をつくる際、 英国の“帝国の統治術”をそのまま日本に移植しました。」
住職は指を折りながら語った。
「まず徴兵制。 これは単なる兵士の確保ではなく、 国家が国民の身体を直接支配する制度でした。
次に軍制。 軍は内閣から独立し、 天皇の“統帥権”のもとに置かれた。
そして統帥権。 これは軍が政治から独立するための“法的盾”となり、 後の軍部独走の根源となりました。」
耿之介は息を呑んだ。
「ならば住職殿…… 山縣は、信長殿や秀吉殿の外征思想を、“国家の仕組み”として固定したということか。」
「その通りです。 信長・秀吉の外征思想は、 徳川によって封じ込められ、 幕末に反転し、 英国で再学習され、 山縣によって制度化された。
これが、明治国家の“外征国家としての背骨”です。」
耿之介は深く息を吐いた。
「住職殿…… ならば『満蒙は生命線』という言葉は、 山縣が信長殿の世界制覇構想を“国家の義務”に変えた結果でござるな。」
「耿之介殿…… まさにその通りです。 山縣は、外征を“国家の宿命”として制度化したのです。」
住職は静かに言葉を継いだ。
「この山縣の制度化がなければ、 日清戦争も、日露戦争も、 満州事変も、支那事変も、 大東亜戦争も起こりませんでした。」
耿之介は静かに目を閉じた。
「住職殿…… ならば日の本の近代は、 民のためではなく、 外征のために歩んだ近代でござるな。」
住職は深く頷いた。
「耿之介殿。 だからこそ、その正体を見極めねばならぬのです。山縣については再度後日詳しく述べます。」
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