自民党は小泉政権下で「国会議員75歳定年制」を正式に決めた。中曽根康弘、宮沢喜一ら歴代首相はこのルールに従い、潔く引退した。ところが今、党もメディアも麻生太郎85歳の副総裁留任に一言も触れない。定年制など最初から存在しなかったかのように振る舞う。ここに、戦後日本政治の「制度と内面の乖離」が露骨に現れている。
麻生は10年近く副総理・財務相として安倍政権の中枢に居座り、岸田政権では副総裁として総理を“指示できる”唯一の人物となった。安倍元首相の国葬決定をめぐっても、複数の報道が「麻生が岸田を強引に説得した」と伝えた。だが実態は説得ではなく“指示”だったと見るべきだろう。米国務長官ブリンケンの急遽来日、エマニュエル大使との密談、米側の異例の安倍礼賛――これらの動きと麻生の弔辞の内容は不自然なほど重なる。麻生はワシントンの意向を踏まえ、岸田に「つべこべ言わずやれ」と伝えた可能性が高い。
問題は、こうした構造を既成メディアが一切報じないことだ。副総裁は党則上の任意ポストであり、明確な職掌を持たない。にもかかわらず、麻生は総理に匹敵する権力を握り続けている。しかも、かつて自民党が決めた「75歳定年制」は完全に棚上げされ、誰も疑問を呈さない。制度より“空気”、法より“権力者の顔色”が優先される。これは戦前の精神構造の再来である。
麻生の権力の源は、吉田茂・牧野伸顕の系譜に連なる「米国エスタブリッシュメントとの直結」にある。安倍再登板を支えたのも麻生であり、米国の対日戦略の国内側の実行者として機能してきた。だからこそ、定年制など適用されるはずがない。メディアが沈黙するのも当然だ。
麻生太郎85歳・副総裁留任―― これは単なる人事ではない。 戦後日本の無責任構造が、制度を食い破り、空気支配がすべてを上書きする現実の象徴である。