6月下旬に天皇が英国を国賓として訪問した。日本のメディアは総じて「英国王の招待による国際親善のための訪問で」「日英両国の皇室、王家はそれぞれを互いに特別なものとみなしており、二国間の友好関係はこれを機にさらに深まった」と具体性のまったくない賛美に終始した。しかし、日英関係を幕末・維新期から160年余りのスパンでとらえるとき、今回の天皇訪英は北大西洋条約機構(NATO)の盟主としての米英の日本管理が新たな段階に達したことを示している。19世紀から20世紀初頭に及んだパクスブリタニカを後継したパクスアメリカーナが行き詰まる中、欧州連合(EU)を離脱した英国は再び「グローバルブリテン」を唱え、米英アングロサクソン同盟の強化で中国、ロシアを中核とする新興国勢力と真っ向対峙し始めた。米英はこの新たなグローバル覇権闘争を勝ち抜こうと、国連憲章に敵国と明記し続ける日本の軍事力を強化し「同盟国」に仕立て上げた。皇室・王室交流を介して日本人に圧倒的に蔓延るアングロサクソン崇拝に付け込んでいる。
この日・英米関係は本ブログの主題の1つであり、「英国は日英同盟復活へと動く 中国包囲の裏に日本管理も 」、「英国、対中冷戦で大幅軍拡へ 米英・日の軍事連携進む 」、「「日本の右翼政権に軛かける」 新日英同盟と拡大NATO 」を嚆矢に、最近の論考「主敵は中国にあらず、日本にありー 虚構の日米同盟 」まで問題提起を続けてきた。
■正鵠を射た英紙の報道
さて現地からの情報によると、天皇の英国訪問を控え英大衆紙「デイリー・エクスプレス」(オンライン版)は天皇招聘の背景について「チャールズ国王の強い希望がある。専門家は『日本はイギリスにとって経済的・防衛的に重要な国である』とし、日英は互いに助け合う間柄にあるからだ」と報じた。日本メディアの美辞麗句で包んだ無内容な皇室礼賛報道とは異なり、「王室は国民に奉仕すべし」との姿勢をとる英メディアの「日本は今日、経済的・防衛的に極めて重要な国だから国賓招待した」との指摘は図星であった。
現地時間6月22日午後にロンドンに到着した天皇は25日からの3日間国賓として英国に滞在し、同日に歓迎式典、バッキンガム宮殿での歓迎晩餐会に臨んだ。これに合わせるかのように6月25日(日本時間)、航空自衛隊は北大西洋条約機構(NATO)との連携強化を図るためとして、インド太平洋地域での共同演習「パシフィック・スカイズ24」を実施中のフランス、ドイツ、スペイン空軍と7月19日から北海道千歳基地を中心に共同訓練を実施する、と発表した。これに対し、北朝鮮と軍事協定を締結したばかりのロシアは「ウクライナを支援する岸田政権の無責任な政策が北東アジアやアジア太平洋地域全体の緊張を拡大させる。しかるべき対抗措置を取る」と猛反発。米英NATOに追随するばかりの日本政府は北東アジアでの軍事緊張をさらに高め、ウクライナ戦争による対ロシア制裁による原油や天然ガスなどの禁輸やNATOの対露制裁が裏目に出ての資源価格高騰などで日本国民の生活を逼迫させている。
NATO生みの親と言える英国は2018年、欧州のNATO加盟国としていち早く自衛隊との合同軍事演習のための「物品役務相互提供協定(ACSA)」を締結。最新鋭空母「エリザベス2世」を西太平洋に派遣するなど南シナ海での中国軍けん制を念頭に陸海空で日本と軍事連携を強めてきた。英国にフランス、ドイツが続く形をとり、イタリアは2023年8月に空自と石川県小松基地を拠点に初めての空軍共同訓練を行った=写真=。今回はスペインが初参加する。日英両政府は両国部隊が相互に相手国に入国する際の審査を不要にする「共同訓練円滑化協定」締結で大枠合意しており、一部日本メディアは日英同盟が失効して100年目を迎えた2023年に同盟が復活したとはしゃいでいる。今回の英国王室の天皇国賓招待はこの”新日英同盟”の祝典と受け取れる。ロンドン・シティ、ウオール街の金融資本や英米両政府の要請をうけて英王室が動いたのは間違いない。
■岸田首相の誓約をオブラートに包む
25日のバッキンガム宮殿に続いて26日には世界の金融中枢シティーでも金融街の関係者らが集い天皇訪英を歓迎する晩餐会が開かれた。会場となったシティー・オブ・ロンドンの市庁舎「ギルドホール」には、実は岸田文雄首相が2022年1月に訪英した際に立ち寄り、インベスト・イン・キシダ(岸田に投資を)」と呼び掛けていた。岸田首相自身が掲げる「新しい資本主義」を「資本主義のバージョンアップ」と説明。「人への投資」、「科学技術・イノベーションへの投資」、「スタートアップ投資」、「グリーン、デジタルへの投資」を4本柱に民間の有効活用を訴え、6月には「新しい資本主義のグランドデザインとその実行計画」を策定すると約束したのだ。
同年9月には資本主義の総本山ニューヨークでも「岸田版新資本主義」構想を披露した。それはクラウス・シュワブの主宰する世界経済フォーラム(WEF)の描いたシナリオを忠実に実行するもので、首相就任後に言及した金融所得課税強化や自社株買い規制を放棄し、投資規制撤廃による株価引き上げをアピールした。それは講演というより米英主導の「グレート・リセット」に忠実に従うとの誓約であった。ロンドンではジョンソン英首相(当時)との会談は後回しにし、ギルドホールでのプレッジを優先した。岸田政権は発足当初、新自由主義を批判し格差是正と中間層復活を図りケインズ型修正資本主義を目指すかのような「成長と分配の好循環で所得倍増を目指す新しい資本主義」を提唱。だがロンドン・シティでこれををあっさり封殺。世界の巨大資本提唱の「グレートリセット」を日本で代行する「資産所得倍増プラン」を打ち出した。新プランはかつてない円安・ドル高を進めて外資に絶好の投資環境を創出し、「日本売り」を加速させるものだ。天皇のシティ訪問は最終工程としてそれをオブラートで包む形となった。
■幕末・維新期から日本を管理、いびつな関係続く
長崎グラバー邸の大食堂の壁に飾られた数ある写真の中でも長州ファイブのもの=写真=が人目を引く。1863年に長州藩から清国経由で英国に派遣され、ロンドン大学ユニヴァーシティ・カレッジなどに留学した、井上聞多(馨)、遠藤謹助、山尾庸三、伊藤俊輔(博文)=写真右上=、野村弥吉(井上勝)の5名の長州藩士は長州五傑とも呼ばれる。駐日英国領事エイベル・ガウワー、ジャーディン・マセソン商会ウイリアム・ケズウィック、同商会長崎支店グラバー商会の武器商人トーマス・グラバーが5人の渡航を世話し、英留学中はマセソン商会社長のヒュー・マセソン が面倒を見た。
豊臣政権で五大老の一角を担った毛利氏を歴代藩主とする長州藩は江戸期を通じて一貫して密かに倒幕・徳川体制打倒の意思を抱き続けたとされ、これを見抜いた英国は薩摩藩と並んで、長州藩を倒幕・明治新体制構築の主力として支援育成した。この観点からは明治御一新は武士階級内の軍事クーデターそのものと言える。薩長同盟は坂本竜馬が主役であるとしたのは日本人作家が小説を面白く盛り上げるための手段であった。実は英国が主導したとみるのが合理的であり、合点が行く。
維新三傑とされる木戸孝允、西郷隆盛、大久保利通亡き後、伊藤博文は大隈重信、板垣退助、井上馨らとともに第二世代のリーダーとして英米両国と協調しつつ、産業近代化(富国)、軍事国家化(強兵)を進める。ユーラシア東部におけるロシアの膨張阻止を最大の地政学的課題とする英国はシティを対日資金供給源とし、日清戦争、日露戦争を切り抜けさせた。市民革命なき文明開化、王政復古の下、形だけの憲法制定で大権を掌握した天皇の絶対君主化も英国のプロデュースによるものだったと言える。日露戦争後、満州利権を巡り米国との関係が急速に悪化してゆき、日英同盟は米国の反発で解消。その後明治憲法の定める統帥権が抜け穴となり統帥権独立を主張する軍部は中国侵略へとめどなく進み、日本は対米英戦争(1941~1945)に突入した。
不平等条約を抱え、英国の半植民地として出発した近代日本。そのいびつな日英関係は両国の君主の相互訪問を拒んできた。戦後、天皇が6回訪英している一方で、イギリス国王(女王)の訪日は1回だけである。日本の皇室が英国の王室にすり寄るいびつな関係と言える。近代までの東アジアにおける中国の歴代王朝と周辺諸国・諸民族が形成した国際秩序である冊封体制に限りなく近い。英国サイドの本音は「宗主国」と「朝貢国」の関係であろう。
■「日本の無力化」ーポツダム宣言の核心
1945年8月ポツダム宣言受諾による日本降伏に伴い、日本を軍事占領した米英にとって最重要事項は対日降伏勧告案の中にあった「日本が再び戦争を起こし、それを遂行できないよう無力化する」との一文であろう。宣言本文には「日本国の戦争遂行能力が破砕されたことについて確証を持つことができるまでは…日本占領は継続する」とある。1947年憲法に戦力放棄を謳い無力化を行ったものの、それから80年近く経た今日、日本の防衛予算は2027年には単純比較で世界第3位にまで上昇する。実力組織・自衛隊という「日本軍」を米英主導のNATO集団安保体制の中に組み込み、米英で日本を管理して決して自立させないこと。これが2014年集団的自衛権行使容認に伴い成立した2015年新安保法制の本質である。日米安保条約に加え自衛隊は日本の実質NATO加盟で二重の「ビンの蓋」に封じ込められ、米英に対して「無力化」された。
1971年に密使として北京に赴いたニクソン米政権の大統領補佐官ヘンリー・キッシンジャー(当時)は国務院総理周恩来(同)に「日本を経済大国にしたのは誤りだった」と悔いた。日露戦争勝利、第一次大戦参戦による五大国の仲間入りー。日本帝国という天皇大権国家の第一次サクセスストーリーである。第二次大戦敗北で灰燼に帰した戦後日本は企業戦士を続々と送り出して40年後の1980年代後半、ジャパンマネーを世界に奔流させ米欧の富を買い漁り経済大国として第二次サクセスストーリーを演出した。キッシンジャーの後悔は1990年代以降の半永続的な対日報復となる。日本衰退化の中で軍事大国日本を憧憬した安倍日本会議政権の右翼バネを利用して自衛隊の集団的自衛権行使容認と防衛費倍増を目論んだ。安倍取り巻きをはじめ国粋右翼勢力が対米自立を唱える中、安倍晋三元首相殺害と自民党安倍派解体が起きた。これを背景に、米英の日本管理を抵抗なく受け入れる吉田茂内閣の末裔岸田政権が極端な支持率低下に喘ぎつつ存続の道を模索している。
■日本に三度目のサクセスストーリーはない
米英権力中枢はシティ、ウオール街を主役に日本の有力企業の株を買い漁り、もの言う投資家として日本経済を管理している。これと並行して日本の軍事力、経済力を管理して、主要先進国(G7)をGDPで凌駕するまで成長した中露・BRICSを中核とする新興国勢力と軍事的、経済的に対抗するために利用する算段である。特に英国を衰退国として過小評価すると事態を見誤る。碩学の中尾茂夫大阪市大元教授(金融論)は「英帝国の『店じまい』では、歴史は終わらなかった」「英国は英ポンドを棄てて、通貨取引を米ドルに乗り換え、米ドルの賃貸市場をニューヨークよりも国際競争力のあるロンドンに作った。金利規制や準備率規制のない、自由なユーロ・ドル市場の登場である。」(世界マネーの内幕、P269 )と教えてくれている。
シティはウォール街と同等、否、それ以上の力を有する。ロスチャイルドをはじめ有力なユダヤ金融資本を介し米英資本は一体化している。情報・諜報帝国でもある英国は「グローバルブリテン」として米英の覇権を死守しようと、ありとあらゆる手立てを講じて、新興国勢力の台頭・成長を妨害していくことは必至。中国包囲網形成とウクライナ戦争はその象徴である。彼らが近代日本に三度目の奇跡・サクセスストーリーを起こさせることはない。