軍産複合体を力の論理で導くネオコン ウクライナ危機とアイゼンハワー離任演説 4月21日更新

軍、諜報機関、金融界、産業界、議会で構成される軍産複合体が米国の民主主義を蝕んでいると34代米大統領アイゼンハワーは1961年1月の離任演説=写真=で警告。そして政府中枢のコントロールを離れ破壊工作を行う米中央情報局(CIA)の解体を決意したとされる35代大統領ケネディは1963年11月に暗殺された。「軍産複合体が不当な影響力を獲得するのを排除しなければならない。誤って与えられた権力の出現がもたらすかも知れない悲劇の可能性は存在し続ける。…この軍産複合体の影響力により、我々の自由や民主主義的プロセスは決して危険にさらされてはならない」とのアイクの危惧は現実のものとなった。「誤って与えられた権力」すなわちペンタゴン(論議の末1947年に発足、現在5軍を傘下に収める米最大官庁の国防総省)が国務省、CIAを自らの支配下に置き米国の民主主義を腐食させた。今やネオコンが力の論理でこれを主導する。今日のウクライナ危機は米国政治を根本的に変えた軍産複合体が形成された1950年代にまで遡って検討する必要がある。

■すべてを疑え

ウクライナではありとあらゆる蛮行、いわゆる非人道的所業の責任がロシア軍に帰せられている。ロシア側が「それはウクライナ側の偽旗作戦」と非難すればウクライナ側はメディアを動員してそれがロシア側の謀(はかりごと)と言い返す。際限のない非難の応酬を生んでいる。西側メディアを見ている限り、すべての非はロシアにあるという。果たしてそうなのか。すべてを疑ってみなければならない。今なすべきは「自分たちが行った謀」を敵の陰謀に仕立て上げようとする陰謀を排すことだ。

アイクの演説から60年余り経ったIT、AI時代の今日、敵を陥れるための情報戦や破壊工作はとてつもなく複雑で巧妙になった。敵対勢力を極秘に破壊するためには最先端技術を駆使して出来ることはすべて行う。まさに「何でもあり」なのだ。そこに人道的観点や民主的手続きの入り込む余地はない。遺憾ながら、米英軍や傘下の諜報機関に訓練されたウクライナ軍のネオナチ特殊部隊がロシア兵に偽装し、住宅地や病院などにミサイル弾を打ち込むことは想定の範囲内だ。死亡した民間人の遺体があたかもロシア兵によって放置されたごとくねつ造することなど造作もなかろう。

■ケネディ暗殺で最も疑われるグループ 

【写真】ケネディとアレン・ダラス(右) 「CIA長官アレン・ダラスがケネディ殺害を命じたのか」との2015年10月13日付(Did CIA Director Allen Dulles Order the Hit on JFK? (thedailybeast.com)記事に添付された写真

アイゼンハワー政権の国務長官ジョン・ダレスの実弟アラン・ダレスは同政権でCIA長官となり、ケネディ政権でも留任した。しかし、キューバへの軍事侵攻を巡り米軍とCIAをまったく信用しなくなったケネディはアレンらを解任した。CIA、ペンタゴン、亡命キューバ人団体をはじめケネディに反感を募らせたグループが2年後のケネディ暗殺事件での実行犯と最も疑われ続けている。

米国の大統領すら白昼公然と暗殺しかねない、アイクの言う「誤って与えられた権力」にとって敵対者はあらゆる手段で葬るのが常態なのだ。ウオール街の意を受けてナチスドイツを支援したCIAの前身機関・戦略情報局(OSS)の欧州責任者として活動したアレン・ダレスらの経歴をみれば理解はたやすい。

一般に戦争取材の実態はメディアの読者や視聴者には知らされない。内外からの記者、カメラマンはウクライナ軍の用意した車両に相乗りして”被災地”を見て回る。単独取材を装っていても、被災者も目撃者もすべてウクライナ側があらかじめ準備したものだ。危険を理由にウクライナ政府や軍は外国報道関係者の単独行動を決して許さない。厳格に管理する。管理の徹底ぶりは報道関係者の負傷者ゼロが示唆している。すべてとは言わないが、中にはいわゆるクライシスアクターが惨事の被害者やその家族を演じた事例もあるはずだ。それはシリアの内戦でも問題となった。

ウクライナ政府や軍の背後には米英諜報機関がいる。ロシアの侵攻前からウクライナ軍はネオナチに掌握されており、プーチン・ロシアせん滅を進めるには被災地を見て回るメディアにロシアの極悪非道ぶりを見せつけて衝撃を与えるのが最も手っ取り早い。これは米ネオコンやCIA主導の戦いである。「何でもあり」と疑ってかからねばならない。

■敵を作る米国

敵は作り、利用するもの」。

これは25年ほど前から約10年間にわたり、幾つもの勢力に分派したイスラム教徒反政府武装組織の軍事活動で荒廃したフィリピン南部ミンダナオ島の戦闘地域を断続的に取材して確信したことだ。ワシントンは1992年に「米国外最大の米国」と言われたクラーク、スービックをはじめ在比米軍基地の完全撤収に追い込まれた。フィリピン上院が在比米軍基地存続条約の批准を否決し完全撤収へと追い込まれたのは1991年9月。この時既にワシントンではペンタゴン、国務省を中心に米軍のフィリピン回帰へのシナリオが練られていた。当時、中国の改革開放政策は奏功の兆しをはっきり示し、中国が近い将来台頭し米国の覇権に対抗する潜在的脅威となることを織り込み済みのワシントンは中国封じ込めの要衝フィリピンを決して放棄できなかったからだ。

東西冷戦の終わったこの時期、米軍産複合体は差し当たりソ連に代わる新たな敵を必要としていた。北アフリカ、中東から中央アジア、東南アジアに伸びるイスラムベルトが着目された。イスラム反政府武装勢力の特定分派に間接的に武器供与、資金援助して育成し、来るべき「テロとの戦い」の敵に仕上げた。9・11(米同時多発テロ)を受け、アフガニスタンに続く対テロ戦争第二弾の地にフィリピンのミンダナオ地方が選ばれた。テロリスト集団アブサヤフが拠点とした同地方バシラン島でのテロリスト掃討戦が2001年末から米軍に後方支援されて行われ、これを契機に米軍はフィリピン再駐留の道を拓くことになる。

ここで詳述はできないが、まさに常識を超えた「何でもあり」の世界であった。1990年代初めごろからフィリピン軍特殊部隊が夜間にゲリラを装いムスリム集落を襲って奪い焼き尽くす事案が多発した。それを地元メディアがゲリラによる犯行として大きく報じて、国軍は反政府ゲリラ各派の掃討を繰り返し内戦は泥沼と化して行く。国軍の主敵となったのは最大勢力・モロ民族解放戦線(MNLF)から分派した第二の勢力・モロイスラム解放戦線(MILF)。このMILFから分派した最も多くの過激派がイスラム原理主義テロリスト集団へと転身した。

国軍兵士は米軍から供与された武器弾薬をゲリラに横流しして私腹を肥やす。反政府組織は勢力を強化する。ソ連崩壊を待ち受けたかのように金融機関襲撃、無差別爆破テロ、欧米人を狙った身代金目的誘拐事件を頻発させる山賊・野盗まがいのバンディットグループが現れる。米政府はイスラム反政府武装組織の最大勢力MNLFがフィリピン政府と自治権付与・自治州創設で和平合意を結ぶよう仲介する一方で、CIAや米アジア財団が和平に反発する急進グループを分派させてテロリスト集団へと育成した。

米諜報機関は取り込んだ分派セクトのリーダーたちをアフガニスタンや中東に送り込む。彼らはアフガンではソ連軍退却後の親ソ派政府に対してジハード(聖戦)を遂行していたアルカイダと合流した。MNLFと袂を分かちアフガン、中東、リビアを回ったミンダナオ出身のアブドゥラク・ジャンジャラニはアルカイダと連携する過激派テロ組織アブサヤフを同地方バシラン島を拠点に結成した。

こうしてフィリピンにもテロリストの国際ネットワークが形成された。イスラムジハーディストによるテロの脅威が世界を覆い、やがてそのピークとして9.11が発生した。フィリピンに関して言えば、上記のように米軍のフィリピン回帰のために敵としてのテロリスト集団が育成され、同時にこれを掃討するテロとの戦いの準備が進められていたのだ。この観点からは、当然にも、9・11と対テロ戦争は米国が創り出したとの強い疑いが払拭できないでいる

ウクライナ問題を2004年から

ウクライナの政府や軍の腐敗度はフィリピンのそれに比肩するとも聞く。そこに米諜報機関やネオナチの入り込む余地があったのではないか。ウクライナの問題は少なくとも2004年のオレンジ革命による親ロシア政権転覆の時分から見て行かない限り全体像はつかめない。

ウクライナで無辜の民間人、とりわけ子供たちが犠牲になっているのは痛ましい限りである。同時にアフリカ、中東をはじめ世界各地で日々悲惨な戦闘が繰り返され、多数の犠牲者や難民が出ている。その大半に米英は直接、間接に関与している。これも胸にしかと刻むべきだ。