二〇二六年の習近平訪米は、米中の“親密さ”を世界に印象づけた。しかしその実態は融和ではなく、米中が衝突を避けるために競争を管理する新しい段階へ入ったことを示している。米国は中国との全面戦争を望まず、中国もまた米国との衝突を避けたい。両者は競争を続けながら、戦争だけは避けるという構造に入ったのである。
この構造が意味するところは大きい。台湾有事に米国が介入しない可能性が、現実味を帯びてくる。米軍は中東で疲弊し、中国の軍事力は量の面で米国を上回りつつある。台湾海峡は中国の“ホームグラウンド”であり、米国が台湾のために中国と全面戦争をする合理性は急速に失われている。
そのとき、日本はどうなるのか。日本政府は台湾有事を「日本有事」「尖閣有事」と位置づけてきた。米国が介入しない場合、日本は単独で中国と向き合う前線国家となる。だが日本は、自立した安全保障戦略を持たない。自衛隊は米軍の補完戦力として設計され、兵站能力も弱く、長期戦を支える経済構造もない。何より、日本は歴史認識を確立していないため、国民的コンセンサスを形成できない。
日本は“戦争をする国家”ではなく、“戦争に巻き込まれる国家”である。これは、戦後八十一年続いた対米依存の帰結であり、山県体制から続く精神構造の延命でもある。米国は日本の反中感情や軍拡を利用したいが、国家主義の暴走は危険であり、日本の自主独立や核武装は絶対に許さない。だから米国は、日本を自立させず、依存国家のままにしておく。
結局のところ、日本は歴史認識を確立しない限り、米中の狭間で永遠に“依存国家”のままである。米中の構造変化は、日本に自立を迫っている。しかしその精神的条件――歴史認識の成熟――が満たされない限り、日本はどこへも向かえない。