踊る「改憲勢力3分の2超」論議 米国からの改憲禁止令を想起せよ

2022年7月10日の参院選で予想通り自民党が大勝、憲法改正を唱える4党の合計議席は衆参両院とも3分の2を超えた。形の上では現憲法の改正論議は現実味を帯びているかのようにみえる。岸田首相も「できるだけ早く国会発議し、国民投票に結びつけたい」と語った。産経新聞など安倍改憲推進メディアは「急逝した安倍晋三元首相が果たせなかった憲法改正を自身の手で実現できるのか。首相には一刻の猶予もない。」などと煽って見せる。だが、「改憲はない」。理由はシンプル。ワシントンが「平和憲法は変えるな」と指令しているから「できない」のである。そもそも改憲4党の主張もバラバラで決して折り合いのつくものではない。したがって今後とも国会とメディアでの改憲論議は「論のための論」として踊るほかない。茶番として傍観すべきである。

以下、2020年2月20日掲載記事「「私の手で改憲成し遂げる」は安倍首相最大の虚言--どう我々を欺いているのか」を再掲載する

<注:岩波書店発行月刊誌「世界」2018年4月号掲載の拙稿「安倍『加憲』案の迷走が示唆するものー緩まぬ敗戦の軛」も参照されたい。米国が具体的に「日本国憲法には手を着けるな」「集団的自衛権の行使容認は9条の解釈変更で行うこと」と厳命している箇所は世界寄稿論考で補足している。>

 


(Photo by Kyodo News Stills via Getty Images)

現憲法の政教分離原則を無視した、安倍晋三首相率いる閣僚らによる年初恒例の伊勢神宮参拝。皇祖・天照大御神に天皇の神性をはく奪した現憲法を改定できない不忠を深く詫びたのであろうか。

安倍晋三首相は2月6日の参拝直後、記者会見で「憲法改正を私自身の手で成し遂げていくという考えにはまったく揺らぎはない」とまたまた大言壮語した。

ナチスの宣伝相ゲッペルスは「嘘も百回つけば真実になる」と語ったとされるが、何回ついても真実にならないのが安倍総理の改憲を巡る嘘だ。最大の虚言のからくりを点検する。

「改憲厳禁」のお達し「アーミテージ・ナイ報告書」第3弾

野党時代の2012年4月に自民党は新憲法草案を公表した。それから4カ月を経て、同年末の政権交代と安倍再登板を見越したかのようにワシントンから「平和憲法改定は必要ない」とのお達しが東京に届いた。米政府のみならず米国主流派の総意を代弁する対日指令書「アーミテージ・ナイ報告書」第3弾である。

この指令書は2000年の第一次報告書から一貫して勧告してきた集団的自衛権行使容認と一体の形で「改憲禁止」を命じた。再登場した安倍政権は14年に憲法9条の解釈変更で集団的自衛権容認を閣議決定、翌年には自衛隊を米軍の補完部隊として世界中に派遣できる新安保法案を強行採決した。他にもTPP推進、原発再稼働、秘密保護法、武器輸出三原則撤廃等々、卑屈なまでにすべての指令に従ってきた。

|どのように禁止しているのか

対日政策提言書・アーミテージ・ナイ報告書は米国の超党派の民間シンクタンク、戦略国際問題研究所(CSIS)が2000年、07年、12年の三次にわたって刊行している。日本政府は「民間のものなので政府は関知しない」と強弁してきた。だが第三次レポートだけとっても、集団的自衛権行使容認、原発再稼動、環太平洋経済連携協定(TTP)推進、秘密保護法、武器輸出三原則の撤廃などその勧告が日本政府によってことごとく従順に政策化されてきた事実に背を向けるのは一部の安倍政権寄りの論者だけだ。

米国の有力シンクタンクは「回転ドア」と言われる。それは政権交代が起きるたびに入れ替わる民主、共和両党の政府高官を研究所幹部として受け入れて待機させ、民間人として発言させているからだ。日本政府は形式上独立しているので米国政府が直接指令するわけにはいかない。したがって米民間団体が日本政府に勧告する形をとっているだけだ。実際はG to G 文書である。

報告書は集団的自衛権行使容認要求と一体となった形で「平和憲法は改めるべきでない」と強く求めており、事実上改憲禁止の勧告となっている。CSISは一貫して「米国からの安全保障関連の要請は解釈改憲で対処せよ」と勧告しているのに、総じて日本のメディアは何故かこれを正視しようとしない。

第三次報告書は、四章第七項「集団的自衛の禁止(Prohibition of Collective Self-Defense)で「集団的自衛の禁止解除」が提言される。報告書は、中国の台頭への対処と米日韓の関係強化をアジアの安全保障課題の基調に据え、東日本大震災(3・11)に対処する米軍と自衛隊の共同救援活動「トモダチ作戦」の部隊展開で、集団的自衛権の禁止がアイロニーを惹起したと指摘する。

アイロニーとは「日本の現行の安保法制ではもっぱら米軍が自衛隊を助け、自衛隊は米軍を支援できない」ことを指し、米軍と自衛隊の活動一体化をさらに進めるには憲法九条の解釈変更が不可欠との勧告に向けて布石を打った形だ。

実際、「3・11は外からの脅威に対する防衛課題ではなかったため、米日両部隊は集団的自衛の禁止を気に留めずに活動した」と述べたのに続き、「トモダチ作戦では憲法九条を緩く解釈して対処した」と明かす。緊急災害救助活動だったとはいえ、自衛隊が事実上集団的自衛権を行使したと主張したのだ。

そして「皮肉なことに、日本の権益の保護が必要となる最も危機的な状況に際し、米軍は日本を集団的に(共同して)守ることが法的にできないでいる」と警告。集団的自衛権行使の禁止が米軍と自衛隊の統合を阻害しているとして、次のように提言する。

「日本の集団的自衛権の禁止を変更すれば、このアイロニーは完全に解決される。政策を変更しても…日本は軍事的にさらに攻撃的になろうとし、日本の平和憲法を改定しようとしてはならない(A change in Japan’s prohibition of collective self-defense would address that irony in full. A shift in policy should not seek …a more militarily aggressive Japan, or a change in Japan’s Peace Constitution.)」

太字強調した「should not」は「するな」との指令に限りなく近い。ワシントンは「集団的自衛権行使を、九条の枠内で、解釈改憲で容認せよ」との極め付きの難題を日本政府に突き付けた。それは米国の安全保障に関わる負担軽減と併せ、日本をハンドル(調教)するための軛をさらに強固にしようとするものだった。

「改憲禁止」との厳命に背けば政権の命脈は直ちに尽きる。首相の首には刃が突きつけられたままだ。

窮余の策:9条に自衛隊明記

対抗勢力が欠如したことによる、政治への無力感のはびこりからか、19年参院選での投票率は50%を割り込んだ。小選挙区制に加え、低下する投票率がマジックとなって、支持層が有権者の30%にも及ばない与党なのに、自民党は第二次安倍政権の発足後、6回の国政選挙で“全勝街道を爆進中”である。

16年7月の参院選の結果、自公連立与党の総議員数はとうとう衆参両院とも改憲発議に必要な3分の2を超えてしまった。「占領憲法唾棄」を叫ぶ極右組織・日本会議をはじめ、政権支持母体は千載一遇のチャンス到来と改憲即時実行を迫り、首相は窮地に立たされた。

「上手く乗り切るにはどうするか」“知恵者”の巣食う官邸をはじめ安倍取り巻きはさぞかし思案に耽ったことであろう。出てきたのが公明党新旧幹部らの発案ともいわれる「9条1項、2項を残し、新たに3項を追加して自衛隊を明文で書き込む」いわゆる安倍加憲案であった。

この案は窮余の策として、翌17年5月3日の憲法記念日にで初めて公にされた。皇国史観にとりつかれたように振る舞いながらCIAとのつながりも疑われるうさん臭い改憲派団体や、有力支持者からは絶対譲れないはずの現行9条を維持したままの加憲提案への強い反発はほとんど上がらなかった。

自民党大会で党改憲原案を採択せず 19参院選後は柔軟路線

これ以降、自民党は挙党体制で「改憲推進」の旗を掲げながら、「安倍加憲案の雲散霧消」作戦を巧妙に進めている。

中核となった演出は18年3月の党大会で行われた。改憲4項目を巡ってとても議論は収束しないと言い繕い、国会に提出すべき党原案の採択を避けたのだ。大勢は安倍案支持で決していたとされる。にもかかわらず、この案は極少数派の異論とともに党憲法改正推進本部長預かりにされた上で、不可解な党改憲条文イメージ案として採用された。

改憲手続きに関しては、新安保法案をはじめ数々の違憲立法を強行採決して、憲法9条を骨抜きにした安倍強権は鳴りを潜めている。昨年来、とりわけ「3分の2議席体制」が崩れた参院選後には、ホッと胸をなでおろしたようで、安倍首相は「(国会の)憲法審査会に各党案を持ち寄り与野党間で大いに議論しよう」とさらに姿勢を柔軟にした。まるで「もう強行発議はできません。議論のための議論でいいのです」とでも言いたげだ。

議論の期限設けない憲法審査会は格好の隠れ蓑

国民投票に向けて憲法改正案を国会発議する手続きには、その第一段階で2つの選択肢がある。1つは衆議院で100人、参議院では50人の賛成を得ての議員による原案提出であり、「議員発議」と呼ばれる。もう1つは憲法審査会による原案提出だ。いずれの方法をとっても、提出される改正原案は両院本会議での趣旨説明・質疑応答を経て各憲法審査会で過半数可決された後、衆参の本会議で総議員の3分の2以上の賛成で議決されれば、改正案となり国会発議される。

ところが18年10月15日に開いた最高意思決定機関の自民党総務会で、加藤勝信会長(当時)は「憲法改正の条文案(党原案)を国会に提出するにはその前に総務会の了承手続きが必要だ」と釘を刺してみせた。

この時期、同総務会長は「(党原案でなく素案=イメージ案を)国会の憲法審査会の場に示し、一つのたたき台として各党間で侃々諤々(かんかんがくがく)の議論をしていただく」、「このため、通常の法案提出に当たる、国会審議のための衆院議員100人、参院議員50人による『発議』をする状況にはない。現状では、総務会で改憲案を決定(原案を了承し、党議拘束)するという整理にはなっていない」と語った。

要するに、「党原案の本会議提出はしない。憲法審査会で改憲論議を盛り上げるだけでいい」と明言したに等しい。

自民党執行部は、党議拘束のかかった改憲原案を本会議提出(議員発議)すれば、国会発議、国民投票へと進み、ワシントンが「厳禁」する改憲が万が一にも実現してしまいかねないと恐れたはず。「憲法審査会で大いに議論して欲しい」は目くらましである。17年半ば以降「改憲はスケジュールありきではない」と繰り返す首相にとって、議論や採決に期限が設けられない審査会論議は格好の隠れ蓑となっている。

絶好の機会に改憲手続き法改正へと舵を切る

18年3月の自民党大会=写真=で安倍加憲案への党案一本化に向けて議員を締め上げ、これを党原案としたうえで総務会の了承を取り付け、党議拘束を行うことが困難だったとは到底思われない。「安倍1強」と「3分の2議席体制」の下、党原案を国会で強行議決するのも辞さないとの覚悟さえあれば、むしろ容易だったと思われる。それは集団的自衛権容認や新安保法案を巡る論議での強硬な党内異論封じを思い起こせば十分であろう。

両院で圧倒的過半数を占める与党として「衆議院100人、参議院50人」の賛成を得ての党原案の両院本会議への提出(議員発議)など、造作もないはず。ただ党議拘束しない限り、自民党議員の間で18年3月の党大会同様、議論紛糾が国会で“再演” されることになる。

一方、もうひとつの道である憲法審査会で自民党が加憲案を含む4項目にわたる党イメージ案を提示したところで、野党側の冷めた対応は火を見るよりも明らか。改憲手続きを定めたいわゆる国民投票法の改正案採決が19年末の臨時国会閉会時に5国会連続で見送りとなったように、与野党合意を得ての審査会での改正原案の取りまとめなど「夢のまた夢」という他ない。

19年参院選を約1年後に控え、18年6月に自公両党が主導して国民投票法改正案を共同提出したのはダメ押しだった。「“悲願の改憲”に向けまたとない機会」となっていた時期に敢えて改憲手続き法の改正へと舵を切り、改正案の審議、採決を事実上凍結してしまったのだ。これも姑息な自発的「自縄自縛」であり、米国への「自発的隷従」と言える。

 

4選の芽を育む肥やしに

「私自身の手で憲法改正を成し遂げたいという思いには全く揺らぎはない」。安倍首相は1月12日のNHK日曜討論会で伊勢神宮参拝後の言葉をそのままコピーした。同様に、「憲法審査会で、与野党の壁を越えて建設的な議論が行われることを強く期待したい」と呼び掛け、いつものように審査会議論を「隠れ蓑」とした。

1月20日に召集された通常国会初日の40分余りに及んだ施政方針演説では、終盤の最終部でほんの実質一分を充て、憲法審査会での改憲の活発な論議を呼び掛け、国会議員として果たすべき「歴史的使命」と大仰に訴える始末である。

直前の党会合では「時代にそぐわない部分は改正を行うべき。最たるものが憲法9条だ」と息巻いたものの、国会の演説では改憲案の内容には一切踏み込まず、議論の呼びかけだけにとどめたとされる。姑息さに拍車がかかっている。

ここ数年首相自身に直接降りかかった疑惑だけをみても、森友・加計を皮切りに、桜を見る会に至るまでスキャンダルが絶え間なく噴き出ている。その度に文書の破棄、改竄、限りなく虚偽濃厚な答弁が繰り返された挙句、2020年の年が明けると「在任史上最長となるもレガシーなし」、「賞味期限切れて死に体」などとほとほと愛想が尽きたといわんばかりの報道・論評が目立つようになった。今通常国会中の総辞職や早期解散も盛んに取り沙汰されている。

文字通り一寸先は闇となりながらも、1月12日には内閣支持率6.6ポイントアップとの世論調査結果も出た。石破茂、小泉進次郎を潰し、総裁4選絡みの「後継者がいない」「安倍さんの後は安倍さん」とのキャンペーンは奏功しつつある。側近議員は「トランプが今秋再選されれば間違いなく『シンゾウが必要』と呼びかける」とはやし立てる。永田町からは、「立憲民主、国民民主の野党再合流が打ち切られた今、解散総選挙に踏み切れば、投票率次第では自公圧勝もある」との声も漏れ聞こえる。

首相はハッタリをかましているうちに大きな利点を見出したようだ。「2020年を断念、新憲法施行は21年以降」。とっくにこう報道されている。「悲願の改憲は必ず私の手で」と言い続ければレイムダック化を避け、党規約再改定と21年9月の4選の芽を育む肥やしとなる。

これ以上欺かれ、愚弄されてはならない。