米の単独覇権支えるべく、日本はユーラシア跨ぐ 戦後終焉の展望開けず

80年に達しようとする長い、長い戦後が続いている。半世紀余り前に到来し人々を見る見るうちに非政治化した高度経済成長。これに伴い出現した大量消費社会は1991年バブル崩壊後の「失われた30年」の間も維持され、人々は日本が依然”世界をリードするG7の一員”であるのを誇る。1945年8月以降続く対米隷属という戦後の現実は在日米軍基地・施設が過剰集中する沖縄を除き可視化されにくい。NATO加盟の欧州諸国とともにユーラシア西端ウクライナへの復興支援を全面的に担い、ユーラシア東端では台湾や朝鮮半島の有事に備え日米同盟に基づき米国とともに応分の責任を果たし、軍事威嚇する専制、独裁の中国、ロシア、北朝鮮から国民の生命と財産を守るー。過半の人々は現在、自由と人権を基礎とする近代民主主義国家を先駆けて築いた英国や米国のこのようなプロパガンダに乗せられ、米英の同盟国として対等に扱われるのを名誉に思っているようだ。だが実際のところ、日本はユーラシア国家ロシア、中国を封じ込めようとする米英アングロサクソン同盟のための防人にすぎない。明治以来157年経た近代日本は79年前の対米敗戦によって途方もない陥穽にはまり、戦後を終わらせる展望を開けないでいる。

■永遠平和と拡大NATO、世界制覇

30年余り前の東西冷戦終焉(1989)とソ連解体(1991)を大半の人は「永遠平和のため」の好機であると思い込んだ。感涙と歓喜に包まれて崩れ行くベルリンの壁はイマヌエル・カントの「永遠平和状態を求めることは人間の理性が課す純粋な義務である」との言葉が現実化したかのような錯覚に人々を陥れた。そのころ米ワシントンDCではブッシュ父政権(1989-1993)に結集したネオコンたちが国連の縛りを受けない単独覇権国家アメリカの新たな国防計画指針(DPG)を策定していた。ウォルフォウィッツ・ドクトリンとも呼ばれるDPGの核心は、日本ドイツを米主導の集団安全保障体制に組み入れ、世界制覇に向かう米国に挑む「新たなライバル」の出現を阻止することにあった。米国に逆らう反米国家を民主化運動、反政府暴動、クーデター、軍事攻撃などあらゆる手段を用いて駆逐、破壊すると誓ったのはいうまでもない。こうして半永続的な代理戦争と新らたな大国間角逐・冷戦開始のスイッチが入れられた。

米英主導の集団安全保障体制は1949年に発足した北大西洋条約機構(NATO)によって拡大されていく。冷戦の終結までは東欧・中欧にまで伸長したソ連圏に対する防御手段として考えられ、活動地域もほぼ欧州に限定されていた。ところがNATOはこの30年の間に地球規模の集団安全保障網へと飛躍的に拡大し、その性格も防御から攻撃的なものへと変質した。1990年代後半から2000年代に入ると改革開放政策の成果で中国が台頭し、ロシアには米英NATOに敵対的なプーチン政権が出現、ドイツが欧州連合(EU)の盟主と言われるようになった。冷戦後の歴代ドイツ政権はロシアとの融和を目指し、米国を外しロシアを取り込む全欧州安保構想を模索した。メルケル政権時代にはプーチン政権との間で独ロ関係は蜜月と言われ、米英の対独警戒に拍車がかかった。

 

■戦後を背負う日本とドイツ

第二次大戦中にウインストン・チャーチルの軍事首席補佐官を務めた英陸軍大将ヘイスティング・ライオネル・イスメイが初代NATO事務総長となった。英国の立場としてはドイツの再台頭を防ぎ、ソ連(ロシア)を封じ込めるために米国を引き込む形をとったが、主導権は米国が握り、ロシア、ドイツの封じ込めを続けることとなる。敗戦国ドイツ(当時は西ドイツ)は1955年にNATO加盟したが、1951年に日米安全保障条約を締結した日本と同様、表向きは同盟国とされながら潜在敵国と見なされている。特に、NATOや米国に頼らない独自の安全保障体制の強化に動くEUの盟主ドイツは水面下で米英に攻撃されている。その象徴がロシアとドイツをつなぐ海底ガスパイプライン「ノルド・ストリーム」爆破であり、ウクライナ戦争がロシアだけでなくドイツの弱体化を狙ったものであることが判明した。

近隣に友好国をもたないユーラシアの東端にある島国日本はドイツとは対照的に完全に米国の思うがままに操られている。冷戦終結直後には「脱日米安保一辺倒」の動きも出たものの、すぐに潰された。1993年8月に発足したものの1年ももたなかった非自民・非共産8党派連立政権細川護熙内閣は国連中心主義を唱えた。冷戦が終結し、ソ連が崩壊したので反共防波堤の構築に必要な日米安保条約は決定的に重要とはみなされなくなっていた。「安保条約に意味があるのか?」との声は政界にも蔓延した。下野した宮沢喜一自民党政権の副総理後藤田正晴は「日米安保条約は見直すべき」と語ったという。世界単独覇権プランを打ち出していた米国はこれに激怒していた。1991年湾岸戦争に際して既に「自衛隊を派遣せよ」との無理難題を突き付け、日米安保の重要性を強調していたからだ。

■事実上のNATO加盟とウクライナ支援

それから20年余り経て安倍政権が閣議決定で集団的自衛権行使を容認。これを受け新安保法制が成立することによって「自衛隊派遣」は現実のものとなった。さらに2007年に安倍晋三が歴代首相として初めてブラッセルのNATO本部を訪問して10年後、在ベルギー日本大使館に併設してNATO日本政府代表部が設けられ、日本は事実上NATOに加盟した。2000年代後半にはオーストラリア、インドと安保共同宣言を行い、インド太平洋構想が打ち出された。その後、日本、米国、豪州、インドの4か国の枠組みクアッド(QUAD)が発足した。これは明らかに日本が中国包囲網の先頭に立たされていることを意味する。今の日本人はかつて唐の侵攻を恐れて東国から九州に配備された防人にされている。

一方、NATOの集団安全保障体制の名の下、ワシントンは自衛隊を米軍の指揮下に組み込み、世界中どこでも米英・NATOのコマとして使える軍事力とした。それはユーラシア大陸の西端部ウクライナにまで及んでいる。日本でライセンス生産された地対空迎撃ミサイル「パトリオットミサイル」は「防衛装備移転三原則」の改定によって米国経由でウクライナに輸出可能。さらに来る4月の岸田首相訪米では総額4兆円を上回るともいわれる日本のウクライナ復興支援策がプレッジされそうだ。ウクライナ戦争は停戦の見通しも立っていない。そこで民間企業がインフラ関連復旧事業に従事できるのか。イラク戦争時と同様、”非戦闘地域”に自衛隊員を配置する特措法を国会審議するのか。「戦闘しない」からウクライナ戦争に参戦していないと言い逃れするのか。ワシントンで何を要求されても丸呑みするようではそれは外交ではない。

■揺らぐ生活の基盤

非正規雇用が増えて雇用の約4割を占めるに至り、大企業を除き労働者の賃金は上がらない。「高齢単身女性の貧困率4割」との見出しが紙面に踊る。低所得にあえぐ若者は結婚を忌避し、少子高齢化が加速される。一体これからいくら米国に貢ぐつもりなのか。「かつてなく厳しさを増す我が国の安全保障環境」といった尤もらしい言葉はアメリカ様に忖度した官僚の作文にすぎない。中国、ロシア、朝鮮は東アジアの隣国である。その豊かなサプライチェーン、エネルギー、資源、食料等々。そして何より信頼醸成が必要だ。脅威を煽って得るものは何もない。対米隷属により失うものは余りに大きい。米軍産複合体に生活の基盤を揺るがされている。「かつてなく厳しさを増す」のは「社会保障・シビルミニマム政策と生活環境」なのではないか。それでも人々は戦後を終わらせようとしない。

 ウィキペディアは防人についてこう記している。

「当初は遠江以東の東国から徴兵され、その間も税は免除される事はないため、農民にとっては重い負担であり、兵士の士気は低かったと考えられている。徴集された防人は、九州まで係の者が同行して連れて行かれたが、任務が終わって帰郷する際は付き添いも無く、途中で野垂れ死にする者も少なくなかった。」

まさにこれから先の日本の姿を暗示している。

 

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