1980年代のレーガン、ブッシュ父の両政権時代、文鮮明率いる統一教会には米国の政界を席巻する勢いがあった。レーガンは愛読する統一教会傘下の日刊紙「ワシントンタイムズ」を介して重要なメッセージを発し、ブッシュ父は「統一教会の支援がなければ大統領になれなかった」と公言した。1968年に統一教会の日本初代総裁となった久保木修己は岸信介、安倍晋太郎という現在の自民党清和会人脈と深く結びつき、ワシントンを拠点とする文鮮明の指示で日米間の政界工作に関与した。久保木は1991年に逝去した安倍晋太郎を自民党総裁にできなかったのを酷く悔やんだ。
1993年の総選挙で初当選した息子晋三に米国単独覇権行使を唱えるネオコンと統一教会から白羽の矢が立つ。清和会支配の嚆矢となった森喜朗内閣発足に合わせ、2000年に集団的自衛権行使容認を柱とする対日指令書・アーミテージ報告書の第一弾が公表される。米国は、軍備拡大した自衛隊を米軍に統合させ、中国と対峙するため安倍晋三と自民党タカ派清和会を選んだ。世界最強の後ろ盾を得た安倍晋三は永田町で前代未聞のスピードで総理総裁の座へと駆け上っていく。
注:末尾に関連記事一覧を掲載した。
安倍は当選3回ながら2000年7月に第2次森内閣で官房副長官に抜擢、翌2001年4月発足の小泉第一次内閣でも再任された。小泉首相の北朝鮮訪問に随行、拉致問題をはじめ対北強硬発言で一躍注目される。衆議院解散を控えた2003年9月、小泉は自民党の最重要職にして選挙総括責任者である幹事長に49歳の安倍を抜擢した。議員経験の極めて浅く、閣僚経験はおろか党の要職にも就いていなかった安倍の幹事長就任は異例中の異例、空前絶後の人事であった。
日経新聞が「若手ホープをいきなり社長へ大抜擢したに等しい」と報じるなどメディアは「小泉の『サプライズ人事』」とはやし立てただけ。疑いの余地なくその力の源泉がワシントンにあることには口を閉ざした。安倍死後も闇にほうむられたままだ。2005年10月には第3次小泉改造内閣の内閣官房長官として初入閣。筆頭閣僚である官房長官への史上最年少就任は驚きとして受け止められるというより、「ポスト小泉」の最有力者としての”期待”ムードが醸成されることになった。
ウイキペディアによると、安倍は幹事長に抜擢される前には、議員歴10年なのに筆頭副幹事長もしくは外務大臣への就任が有力視されていた。一方、2021年11月の第2次岸田内閣発足に伴い外相に就任した林芳正の場合、1995年7月の参院選・山口県選挙区から自民党公認で初当選し、蔵(財務)相と並ぶ最重要閣僚である外相就任まで26年の雌伏を要した。1994年の選挙制度改革・衆院選小選挙区制への移行に伴い、父林義郎は安倍に山口旧4区(現3区)を譲り、息子芳正は衆議院から参議院山口選挙区に回った経緯がある。
同時に安倍派(清和会)は全盛期に入り、しかも憲政史上最長の首相となった安倍政権下で地元選挙区での宿敵、しかも保守本流ハト派「宏池会」所属の林は徹底的に干されてきた。安倍死去はまさに「僥倖」となった。林の政治的な度量がかりに安倍のそれを大きく上回っていたところで、岸信介、久保木修己、文鮮明、レーガン、ブッシュ親子、チェイニー、ラムズフェルトルト、ウォルフォウィッツ、リビーら安倍晋三の後ろ盾となった日米人脈の壁はあまりに高く、厚かった。
2007年に1年で破綻し、2012年末に復活して歴代最長となった安倍内閣のイデオロギー装置は日本会議であった。皇国史観を柱とする国民運動を自称する日本会議はとりわけ第1次政権で前面に出た。統一教会は「”エバ国”日本は”アダム国”韓国に貢ぎ、戦犯国として加害を償わねばならない」と主張しており、両者は一見すると水と油である。だが統一教会は米中央情報局(CIA)と一体となった宗教団体を装った政治工作組織である。東西冷戦終結とソ連崩壊後は、米国の単独覇権を先頭で遂行したネオコンとともに歩んできた。しかも、統一教会と日本会議の結節点として勝共連合がある。安倍は統一教会と日本会議の決定的な溝に目をつぶり、裏に回った統一教会から選挙応援や潤沢な資金援助を受けたはずだ。9・11後のアフガン侵攻、イラク戦争はじめネオコン路線が全面に出た米ブッシュ子政権(2001~2009)と安倍晋三が台頭する時期はぴったりと重なる。
「100%米国とともにある」。安倍は首相在任中、この言葉を幾度発したことであろう。しかし、先の敗戦を認めない東京裁判否認=歴史修正主義、米占領政策を否定する“憲法改正”への執着はその心の芯で燃え盛っていた。日本会議創設の中核となった生長の家の初代総裁・谷口雅春の発した「先の戦争で負けたのは本当の日本ではない」との妄言は安倍晋三を取り巻く政財官界、これを支える言論界の極右復古主義グループの心をひきつけてきた。2020年に首相を辞任すると、すぐに靖国神社参拝を重ねた。休眠状態にあった創生「日本」(旧称「真・保守政策研究会」)を復活し、会長に就任した。
- 創生「日本」は、民主党政権時代の2012年5月に東京都内で行った研修会で「憲法改正誓いの儀式」を開いた。そこでは「自民党改憲草案にある国民主権、基本的人権尊重、平和主義堅持はGHQによる押し付け、戦後レジームそのもの。なくさなければ真の自主憲法にはならない」、「国を護るためには国民が血を流す必要がある。2600年もの間、皇室を奉じて来た日本だけが道義大国を目指す資格がある」、「日本にとって一番大事なのは皇室であり国体」、「尖閣諸島を軍事利用しよう」などの発言が相次いでいる。
- ネオコンやCIAがこの倒錯したイデオロギーを必要悪とみて黙認したのは中国封じ込めの重要な柱の1つと位置づける2015年の新安保法制成立までだった。安倍は2015年4月の米連邦議会上下両院合同会議で日本の首相としての初めての演説「希望の同盟」やオバマ大統領退任前の2016年12月の真珠湾への日米首脳合同訪問で日本と米国が本当に和解したと思い込んでしまったのか。米権力中枢は敵とみなせば、現職大統領でも抹殺する。安倍はケネディ兄弟を暗殺したとみられる、いわゆるディープステートを甘く見ていたのであろうか。
- オバマ大統領との真珠湾訪問を境にプーチン・ロシアとさらに接近し、2016年12月には安倍家の地元山口県長門市にプーチン大統領を招待した=写真=。積み重ねた会談には懸案の北方領土問題をはじめさしたる成果はなかったが、30回近く会談を重ねた両者が「気心の知れた仲」となっていたことは間違いない。プーチンが日本の山口県を訪ねたころ、米ネオコンは2014年ウクライナ・マイダンクーデターで親露派ヤヌコヴィッチ政権転覆を成功させて親米傀儡政権をウクライナに樹立し、クリミアを再併合したロシア・プーチン体制の解体に向け血眼になっていた最中であった。彼らにとって安倍がプーチンと親密になったことは裏切り、背信となる。
- 菅直人は民主党政権下の首相時代を振り返り「日本の外務省は日本を管理する米政府の代理機関だった」と友人に語ったという。その日本外務省は安倍・プーチン会談に乗り気でなく、しぶしぶ従っただけだったと言われている。ワシントンの顔色を窺えば当然そうなるはずだ。
- ネオコンとCIAに監視されていた安倍晋三が2020年の首相辞任前から、危険すぎる要警戒の政治家に指名されていたとしても何ら不可解ではない。
- (続く)
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