21世紀に入り自民党の最大派閥へのし上がった清和会の第二次安倍政権は憲政史上最長政権となった。だが興隆の直後に崩壊が待っていた。2022年に領袖安倍晋三が殺害されると、戦後保守本流宏池会の岸田政権の下、「政治資金パーティー裏金問題」を巡り安倍派議員が特捜検察に集中摘発され安倍派はあっけなく瓦解した。前回「 近代日本第3期への視角 前書き 」で、フランス留学中に急進共和派とも交流したリベラリストで最後の元老西園寺公望は「天皇周辺から狂信的な皇室崇拝者を排す」ため吉田茂の岳父で自由主義的傾向の強い牧野伸顕を1925年から10年間常侍輔弼に当たる内大臣に据えたと指摘した。100年後に現れた安倍晋三と自民党安倍派は西園寺が見れば紛れもなく狂信的な皇室崇拝集団である。西園寺、牧野、吉田を祖とする宏池会人脈を受け継ぐ岸田政権下で安倍が斃れ清和会が解体したのは偶然であろうか。米国がここ10年ほど日本の行き過ぎた復古的国家主義の台頭と戦後民主主義の破壊を封じ込めようとしてきたのは確かである。2012年の第三次アーミテージ報告書が突き付けた「平和憲法を変えるな」との勧告はその要と言える。
■経済的脅威・日本の再改造
1991年のバブル崩壊を機に日本経済が著しく衰退したいわゆる「失われた30年」。米政権を牛耳る米ネオコンは日米安全保障条約の維持を大前提に日本をハンドルする上で2つの原則を堅持してきた。1つは1947年5月施行の日本国憲法を戦前美化のタカ派政治家に一切手を付けさせないこと。それに親米を装っている日本の極右勢力が噴出させかねない反米の芽を早期に摘み取ることだ。
ジャパンハンドラーの元祖ともいえるヘンリー・キッシンジャー日本は日本嫌悪を露骨に示してきた。1971年に北京を極秘訪問した際、周恩来が「経済大国になった日本に軍国主義が復活しないだろうか」とキッシンジャーに問うた。これに対しキッシンジャーは「現在の米国の対日政策が、実際、日本を抑止しているのだ。我々が(日米安保条約や地位協定から)日本を解放し、自らの足で立つよう促せば日本が経済大国である以上、政治・安全保障両面でも大国として台頭しようとする欲求を持つ」と警戒感を示し「同盟関係を解消すれば日本は手に負えない行動を取り始める」と述べている。米国主導の安保条約が日本軍国主義という魔物を瓶の中に封じ込める蓋の役割を果たしていることを中国は理解すべしと伝えた。後日、「ビンの蓋」論と呼ばれ、関係者は米国の対日政策の根幹と見なしている。米政治学者クリストファー・レインが語ったように、「日米安保はソ連とともに日本を封じ込めるための『二重の封じ込め』」手段だったのだ。
1970年代から1980年代にかけて日米間には繊維、鉄鋼、家電、自動車、半導体など深刻な経済・通商摩擦が続いた。日米経済摩擦は時として日米経済戦争と煽られた。米側は日本の対米輸出を集中豪雨的、市場簒奪的などと激しく攻撃した。日本側は米側にも製造業の海外進出によるいわゆる「産業の空洞化」と貿易赤字、「赤字国債依存」による財政赤字という双子の赤字など内在的な問題があると指摘。その果てに、急激な円高へと為替調整されて日本経済は金融バブルに沸いた。実態は、米国に日本は踊らされており、間もなくバブルは破綻する。バブル経済の破綻と不良債権処理は「第二の対米敗戦」を意味した。1989年には米側主導で日本の社会経済構造の改造を迫る日米構造協議が始まった。敗戦後ゼロの状態から蓄積してきた日本の富は1994年から始まった米側による年次改革要望によって簒奪され、「失われた30年」が始まった。それは「戦後に戦後を上塗りする新たな戦後」となっている。
米国は1945年に日本を降伏させたポツダム宣言で「日本を再び脅威としない」と誓い、GHQに日本人を天皇カルトから解放させ日本の民主的改革に尽力させた。ところが、40年も経ずエコノミックアニマルと揶揄され経済大国となった「日本は再び米国の脅威となった」。この脅威も瓶の中に封じ込められた。新たな瓶の蓋は1993年から始まった日米間で年次交換される規制改革要望書となっている。要望書は実際、米国政府の日本政府への内政干渉的勧告である。建築基準法改正、法科大学院設置、著作権保護期間延長や著作権強化、裁判員制度など司法制度改革、独占禁止法強化と運用の厳密化、労働者派遣事業の規制緩和、郵政民営化など枚挙に暇がない。日本側から米側への要望は一切実現されていない。日本側関係者の中には「アメリカの国益の追求という点で一貫しており、ほとんどが日本の国益に反するものだ」と反発する向きが多い。占領期(1945-1952)に続く「米国による日本改造」が進んでいると言える。
もう一つは2000年から発表され始めた日本や東アジア全般の安全保障に関する提言である「アーミテージ・ナイ・レポート」である。この報告書はワシントンDCにある米シンクタンク国際戦略問題研究所(CSIS)が対日勧告書として公表している。米政府からの規制改革要望書と同様、米側の要望はすべて実行されている。日本側の要求はそもそも受け付ける仕組みのない、一方的なものだ。指摘するまでもなく、米国では政権交代すれば政治任命の政府高官は有力シンクタンクに就職する場合が多い。政府を離れても有力政治家は回転ドア(シンクタンクの別名)を通じて政策立案に関与する。キッシンジャーは1977年、フォード政権の退陣に伴い、国務長官を退任。ジョージタウン大学戦略国際問題研究所(CSIS)に招かれた。
CSISは1987年にジョージタウン大学から独立した研究機関となった。設立の経緯から、米陸軍などアメリカの国家安全保障グループとの繋がりが強い。このころから将来を有望視されている日本の若手の政治家、官僚、ジャーナリスト、研究者が続々とCSISの研究員に送り込まれ、米国益の内側に取り込まれた。日本部には、防衛省、公安調査庁、内閣官房、内閣情報調査室の職員をはじめ、経産省の外郭団体・日本貿易振興機構や損害保険会社、日本電信電話の職員まで客員研究員として名を連ねる。東京の日本中枢を統御する連中がジャパンハンドラーと呼ばれるようになる。初期のジャパンハンドラーを指導したのがキッシンジャーやズビグニュー・ブレジンスキーである。彼らはまたネオコン人脈と重なる。
■第3次勧告書の核心:改憲厳禁
W・ブッシュ政権(2001-2009)の国務副長官リチャード・アーミテージとハーバード大学特別功労教授ジョセフ・ナイの共著「アーミテージ・ナイ・レポート」はこれまで五次にわたり刊行されている。日本で最も論議を呼んだのは2012年8月公表の第3次レポートである。この報告書には日本の安全保障政策を大転換させ、激しい抗議運動を生んだ集団的自衛権の行使容認をはじめ、特定秘密保護法、武器輸出三原則の撤廃のほか原発再稼働、環太平洋パートナーシップ協定(TPP)推進が「提言」されていた。改憲を党是とする自民党はサンフランシスコ講和条約発効60周年となる2012年4月に新憲法草案を公表、9条は現行憲法の2項(戦力の不保持、交戦権の放棄)を削除、自衛隊を正式に国防軍として認知した。そして安倍晋三は2012年9月に自民党総裁に返り咲く。第3次レポートはこれら改憲を前面に出す自民党の動向を見据えた形で公にされた。
日本のメディアは最も重要な米国の対日勧告・メッセージを看過してきた。3次報告書が集団的自衛権行使容認要求と一体となった形で「平和憲法は改めるべきでない」と強く求めていることを報じなかった。勧告に気づかないはずはないが、その重要さを見過ごした。CSISは「安全保障関連の要望は解釈改憲で対処せよ」との姿勢を一貫して維持している。なぜなのか。集団的自衛権行使容認とセットの防衛費倍増は日本の戦後安全保障政策の大転換となり、かつてない軍拡をもたらす。外からみれば日本は米国、中国に次ぐ、世界屈指の軍事大国となる。ここで「政治・安全保障両面でも大国として台頭しようとする欲求を持つ日本は手に負えない行動を取り始める」(キッシンジャー)との米国の警戒感を想起せねばならない。この観点に建てば、この3次報告書の核心が「集団的自衛権行使の禁止政策を変更しても…日本はもっと軍事的に攻撃的になろうとしたり、平和憲法を改定しようとしてはならない(A change in Japan’s prohibition of collective self-defense would address that irony in full. A shift in policy should not seek …a more militarily aggressive Japan, or a change in Japan’s Peace Constitution.)」との一文にあることに気づく。
換言すれば、日本国憲法を変えれば、日本は米国から自立して、手に負えない行動をとり始める恐れがあるので、改憲は厳禁となる。米側にとって、巨大化する自衛隊の米軍との集団的自衛権行使には平和憲法の維持が必要であり、平和憲法が自衛隊を米軍に従属させ集団的自衛権行使を縛る役目を果たすことになる。安倍政権は2014年に集団的自衛権の行使を憲法解釈で合憲とし、閣議決定した。これは後の内閣が違憲と逆転判断すれば、集団的自衛権行使容認に伴い成立した安全保障法制は無効となる。米側があくまで解釈改憲での集団的自衛権行使容認を日本側に求めたのは、米側に不都合が生じれば再び解釈改憲で集団的自衛権行使を違憲とできるからとみなすからにほかなるまい。
安倍首相(当時)はジャーナリストの田原総一郎に「集団的自衛権行使をきめたらそれまでうるさかった米国は何も言わなくなった。憲法は改正する必要なくなった」と微妙な発言をしている。それでも安倍は改憲に執着し続けた。だが改憲が不可能なのは安倍自身が一番わかっていた。それでも立場上「改憲する」と言い続けなければならなかった。この背景については2020 年論考「「私の手で改憲成し遂げる」は安倍首相最大の虚言--どう我々を欺いているのか 」で説明した。
日米関係の本質を日米両政府ともにごまかしている。米国の権力中枢はかつてジョン・ダレスが語ったように「対日不信を拭いきれないでいる」。日本側には右翼勢力から反米マグマが噴出している。安倍暗殺以降、さらに顕著だ。安倍自身が2020年の首相辞任直後から靖国神社参拝を重ね、極右議員グループ・創生日本を再開。かつて研修会で安倍取り巻きは「憲法改正誓いの儀式」を行い、「2012年自民党改憲草案でも国民主権、基本的人権尊重、平和主義は堅持する、とされた。この3つはGHQによる押し付け、戦後レジームそのもの。なくさなければ真の自主憲法にはならない」「国を護るためには国民が血を流す必要がある。2600年もの間、皇室を奉じて来た日本だけが道義大国を目指す資格がある」、「日本にとって一番大事なのは皇室であり国体」、「尖閣諸島を軍事利用しよう」など相次ぐ問題発言を繰り返した。ダレスが聴けば巣鴨プリズンに収容していたA級戦犯を上回るウルトラ国家主義者ばかりとなる。米側は今こそ「軍事的に攻撃的になろうとする」日本の改憲主義者を平和憲法で硬く縛りつけねばならないのである。実際、創生日本の初代会長中川昭一、二代目会長安倍晋三ともに不審な死を遂げ、安倍の死後、会は解散状態にある。
自衛隊を米軍とともに世界中に派遣し集団自衛できる安保法制が成立したのを受け、日本のリベラル派や識者の多くが次は憲法が改正されると危惧した。しかし、自衛隊は統合という名の下、米軍の司令下に組み込まれていった。日本の軍事大国化はそれだけをとりだしてみてはならない。米国は日本人の想像以上に日本を警戒しており、改憲禁止と並び「自衛隊の米軍への統合」という二重の縛りがかけられている。米側の主張する「平和憲法」とは「米国に対し軍事的に攻撃的になることを縛る憲法」を意味する。
当面の日米関係の要点は米側の日本簒奪にいかに歯止めをかける一方で、日本の歴史修正主義を縛り続けられるかにある。長期的には右からの対米自立をリベラル派主導に転換しなけらばならない。
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