繋がる米英の日本管理とウクライナ戦争 「反米原理主義」批判の批判 

「あなたの日本の政治の見方は偏りすぎ」「なんでもアメリカの圧力のせいにするのは誤り」「岸田の次は対米自立した政権になる可能性はある」。下に挙げる記事に不満なようで、こんな便りが相次いだ。 本ブログサイトのダッシュボードの数字をいじくりまわして嫌がらせをしている人は同じように筆者の”行き過ぎた米国批判”を憤り、憎しみを募らせているのかもしれない。岸田政権発足後、しばらくは「エマニュエル駐日アメリカ大使が何かにつけて首相に口うるさく注文をつける」との報道も目立った。だが、なぜか数か月も経つとなくなった。今はたまに「木原誠二官房副長官がエマニュエル大使の”御用聞き”をしている」と書く記者がいる程度だ。いずれにせよ米大使の露骨な”内政干渉”を問題視する論調はほぼ皆無といえる。

一方、ウクライナをロシア相手に代理戦争させてきたアメリカ・NATOはウクライナ戦争が行き詰まり停戦時期を模索せざるを得ないところに追い詰められている。日本メディアが追随した米英メディアは2004年オレンジ革命、2014年マイダンクーデター=写真=に続くネオナチ部隊を抱える親米政権によるロシア語話者の圧倒的に多いドネツク、ルガンスク両州住民の虐殺、両州の事実上の独立を認め国連安保理も承認したウクライナ、ロシア、ベラルーシ、ドイツ、フランスによるミンスク合意の無視、米NATOのウクライナ軍への大量武器供与など一切をなかったかのように、「2022年2月ロシアがウクライナに侵攻したのは国際法違反」と口をすいばめてプーチンを批判、対露制裁へと踏み切った。日本では米国批判、ロシアに同情的な論評は「反米原理主義」と罵倒された。本ブログも例外ではなかった。

以下、「反米原理主義」との批判に対する批判を行う。

米政権のウクライナ政策に基本的に異議申し立てしないのが全米をカバーする4大ネットワークやおなじみの有力紙や週刊誌。これらの大半を経営しているのはユダヤ資本であり、ユダヤロビーの中核をなしている。彼らの最大の敵はロシアであり、最終目的はユーラシア大陸制覇である。幕末から明治維新にかけての戊辰戦争に続く日清戦争、日露戦争。日本の薩長藩閥政府はロンドン・シティのユダヤ金融資本から莫大な外債発行による融資を得てこれらの戦いを遂行した。大英帝国にとって日本は東アジアにおけるロシアに向けた要塞なのであった。

20世紀に入ると米ウオール街が外債を引き受け関東大震災の復興資金を賄った。こうして後発帝国主義国・日本は戦前からロスチャイルドモルガン、ロックフェラーなどユダヤ系をはじめとする米英金融資本に事実上従属してきた。1923年の日英同盟の解消は米国が日本をひどく警戒し始めたという赤信号であり、満州を超えての華北への軍事侵攻は米英の敷いたレッドラインを完全に超えてしまった。天皇を囲む宮中人脈、財閥は米英と軍事的にも経済権益においても協調する道を模索した。

しかし軍部ファシズムの高まりは対英米協調を退け、1937年 国体の本義、1941年臣民の道にみられるように米英の個人主義思想の否定、国体の尊厳、国家奉仕を第一とする忠君愛国精神といういわば天皇カルトに国民を縛り付けた。日本軍の対英米戦への突入はまさに狂気のなせる業であった。対英米戦争・第二次大戦参入は、攘夷から開国に転じ倒幕して明治新政府を樹立した薩摩、長州の草莽らが唱えた「攘夷のための開国」「夷の術をもって夷を征す」が「鬼畜米英」とスローガンを変えて現実のものとなったといえる。

米英の戦後の日本管理の要点は「日本を再び脅威としない」にとどまらず、「完璧に管理しつつ再びユーラシアに向けた強固な要塞とする」となった。日本では一般に戦後民主主義は1947年のトルーマンドクトリンによって土台を破壊されたとされている。日本は対ソ連防波堤とされ逆コースを辿ったと言われるが、19世紀来の英米の地政学の立場に立てば日本は一貫して対ロシア(ソ連)防波堤であった。日本国憲法草案つくりに当たったGHQ民生局のニューディーラー(社会民主主義者)たちは半ば作られた昭和電工疑獄などで本国に帰され、帰国するとマッカーシズムによってパージされた。

「ユーラシアに向けた強固な要塞」は1951年サンフランシスコ講和条約とともに締結された日米安全保障条約と1960年日米地位協定で具体化された。「好きな時に、好きなところに、好きなだけの」米軍を配置して、地位協定で米軍将兵、軍属は日本の法規に縛られない治外法権的地位を与えられている。英国は幕末日本の植民地化を検討した。だが英国は日本には将軍、帝という2つの権力中枢があり、武士階級が山間部に拠点を作りゲリラ戦を挑んで持久戦に持ち込まれると資金的にも割が合わないと考えたようだ。初代駐日イギリス公使オールコックは将軍の居城のある町の中心部をたとえ占領できたとしても、広大すぎるし敵対心をもった住人のもとでは安全に確保し持ちこたえられる欧州の軍人はいないだろう」と書いている。倒幕後の日本帝国をロシアに対する防壁として上手に使うことが英国の課題であった。日米安保条約締結は米英アングロサクソンにとってペリー来航以来実に100年かけての少なくとも軍事面での「日本植民地化」の達成であった。

ウクライナ戦争の本質はいうまでもなく米英の西からのユーラシア侵攻である。換言すれば、ウクライナは西の反ロシア要塞なのだ。2022年3月掲載論考「プーチン追い詰めたブレジンスキー構想 ウクライナ危機と米のユーラシア制覇 」で論じたように「非ユーラシア国家(米国)が初めてユーラシア大陸を管理する」は英地政学者マッキンダーを継承したZ・ブレジンスキーの提言だ。カーター政権で国家安全保障担当大統領補佐官を務め、オバマ元大統領の外交指南役として名をはせたこの国際政治学者の提言はネオコンの米単独覇権の意思を包み込んだ新たな明白なる使命(Manifest Destiny)」の宣言であった。

ウクライナ戦争はロシアの勝利で終わりつつある。だが東の要塞日本は停戦後のウクライナ復興支援を全面的に請け負わされそうな雲行きである。4月の岸田国賓級訪米はそのためのセレモニーになりそうだ。日本の対米植民地化はますます深まっている。Z世代には想像できないだろうが、1980年代のバブル期に日本人の多くは「ジャパンアズNO1」「対米経済戦争勝利」に酔いしれた。バブル崩壊と時を合わせるかのように、米政府は「湾岸戦争に自衛隊を派遣し血を流せ」と求め日本政府を驚愕させた。さらには「再び米国を脅かすことのないよう、日本の社会経済構造を丸ごと取り換えよ」と求める構造改革協議の実施を日本に強いた。先の論考「「平和憲法に触るな」「超国家主義集団を一掃する」~米支配層の根深い対日不信 近代日本第3期への視角2 」で指摘したが、それは戦後蓄積してきた日本の富を米側による一方的な改革要望によって簒奪され、「失われた30年」「戦後に戦後を上塗りする新たな戦後」が始まったことを意味した。

1994年から始まった年次改革要望書送付と2000年から数年に一度送られてくる軍事・安全保障面での改革勧告書「アーミテージ報告書」こそ1945年のGHQに続く二度目の米国による日本改造計画の実施に他ならない。ただし、今回は「経済的にも軍事的にも二度と日本を脅威としない」という硬い決意に基づいている。

秀逸な経済学者(金融論)である中尾茂夫元大阪市大経済研究所教授は著書「ジャパンマネーの内幕」(1991)で日米構造協議についての佐々木毅東大名誉教授(政治学)の次のような見解を紹介している。

「おそらく世界史において、かなり有力な独立国がー植民地ならいざ知らずー自らの経済構造の転換を世界に表明し、その達成度をチェックされるというのは前代未聞のことである。日本株式会社は巨額な貿易黒字の果てに、各国の包囲網に追い詰められ、いわば一種の自己解体宣言を行った」

米権力中枢は1990年代初めまでに「再び脅威となった日本を徹底的に封じ込める」と決意した。佐々木教授は「植民地ならいざ知らず」と書いているが、ブレジンスキーら米側は日本を保護国(国家主権 の一部を代行させる、米国から保護を受ける国)と位置付けている。つまり日本は「かなり有力な国」であっても、「決して独立国ではない」。バブル崩壊後は、限りなく植民地に近づいている。これを是正しようと年次改革要望書の受領を拒否した鳩山由紀夫民主党政権は潰された。米国のソフトパワー外交で日本の識者までが「米国は無二の友好国」「日米同盟は不動」と本気で思い込んでいるとすれば甘すぎる。それは悲劇を超えて喜劇である。

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